「日本巫女史/第二篇/第六章/第一節」を編集中
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此の信仰と神事とは、国初期から奈良朝までは厳存していたのであるが、奈良朝の中頃からは、神々の正体が知られて来ると同時に、漸く衰え始めて〔一〇〕、此の寿詞の言い立てをする一種の営業者ともいうべきものが生れるようになった。これが「万葉集」に見えている「<ruby><rb>乞食者</rb><rp>(</rp><rt>ホカイビト</rt><rp>)</rp></ruby>」であって、彼等は年の始めの吉慶に、家屋の新築の棟祝いに、更に旅行の無事を祈る餞別、或は災危を払う呪願などを、当時の美辞麗句で綴りあげて、それを<ruby><rb>旋律的</rb><rp>(</rp><rt>リズミカル</rt><rp>)</rp></ruby>の調子で歌い歩いて、世過ぎの料とした〔一一〕。後世の、千秋万歳、ものよし、大黒舞などは、悉く此の賓神と祝言人との系統に属しているのである。 | 此の信仰と神事とは、国初期から奈良朝までは厳存していたのであるが、奈良朝の中頃からは、神々の正体が知られて来ると同時に、漸く衰え始めて〔一〇〕、此の寿詞の言い立てをする一種の営業者ともいうべきものが生れるようになった。これが「万葉集」に見えている「<ruby><rb>乞食者</rb><rp>(</rp><rt>ホカイビト</rt><rp>)</rp></ruby>」であって、彼等は年の始めの吉慶に、家屋の新築の棟祝いに、更に旅行の無事を祈る餞別、或は災危を払う呪願などを、当時の美辞麗句で綴りあげて、それを<ruby><rb>旋律的</rb><rp>(</rp><rt>リズミカル</rt><rp>)</rp></ruby>の調子で歌い歩いて、世過ぎの料とした〔一一〕。後世の、千秋万歳、ものよし、大黒舞などは、悉く此の賓神と祝言人との系統に属しているのである。 | ||
古く我国の巫女が、好んで鼓を携えていたのは、此の寿詞を唱える折に必要であったためである。鈴も、琴も、鼓も、その古き用法の意味は、神の御声としての象徴であった。曾て鳥居龍蔵氏から承った所によると、我国のツヅミという語は、ウラルアルタイの語系に属し、蒙古、満洲、朝鮮、我国とも、同語原であるとの事である〔一二〕。そうすれば、鼓はシャマニズムと共に北方から輸入されたものであって、巫女の神を降ろすに欠くことの出来ぬ楽器であったとも考えられる。「梁塵秘抄」には、巫女と鼓との関係を詠じたものが少からず載せてある。 | |||
: <ruby><rb>金峰山</rb><rp>(</rp><rt>カネノミタケ</rt><rp>)</rp></ruby>にある<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の打つ鼓。打ち上げ打ち下げ面白や。我等も参らばや。ていとんとうとも響き鳴れ。如何に打てばか此の音の。絶えせざるらん。 | : <ruby><rb>金峰山</rb><rp>(</rp><rt>カネノミタケ</rt><rp>)</rp></ruby>にある<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の打つ鼓。打ち上げ打ち下げ面白や。我等も参らばや。ていとんとうとも響き鳴れ。如何に打てばか此の音の。絶えせざるらん。 |