日本巫女史/第二篇/第四章/第三節」を編集中

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とある如く、これに附会されると同時に、一方長寿譚の影響を受けて、ここに八百姫から思いついた八百歳説が唱えられるようになり、更に長寿を合理的に考えさせるために人魚や九穴貝のことが〔二八〕、段々と工夫され、追加されるようになったのである。
とある如く、これに附会されると同時に、一方長寿譚の影響を受けて、ここに八百姫から思いついた八百歳説が唱えられるようになり、更に長寿を合理的に考えさせるために人魚や九穴貝のことが〔二八〕、段々と工夫され、追加されるようになったのである。


室町期は、暗黒時代と云われるだけに、民衆は政治的にも、経済的にも、塗炭の苦杯を続けざまに満喫させられた。それだけに迷信が猖んであって、巫覡の徒はその間隙に乗じて跋扈跳梁した。江戸期から明治期の後半まで民間に行われていた有らゆる迷信は、殆んど室町期に大成されたものであって、我国の迷信史においては、平安期と対立して重要なる位置を占め、殊に前者が貴族的であるに反して、後者が民衆的であっただけに、一段と関心すべき内容を有しているのである。斯うした世相において、巫覡の徒が、民間信仰に培われた八百比丘尼を利用し、これを言い立てて、漂泊と収入の便としたことは見易いことである。「康富紀」文安六年五月の条に『若狭白比丘尼上洛、又東国比丘尼於洛中致談議事』と記し(中山曰。目録のみ本文は欠けている)、更に「臥雲日件録」文安六年七月二十六日の条に『近時八百歳老尼、若州より洛に入る。洛中のもの争ひ観んとす。堅く居るところの門戸を閉て、人に容易く看せしめず、かかれば貴者は百銭を出し、賤者は十銭を出す、然らざれば門に入ることを許さず』とあるのは〔二九〕、全く伝説を利用した計画の図星に当ったものと云えるのである。
室町期は、暗黒時代と云われるだけに、民衆は政治的にも、経済的にも、塗炭の苦杯を続けざまに満喫させられた。それだけに迷信が猖んであって、巫覡の徒はその間隙に乗じて跋扈跳梁した。江戸期から明治期の後半まで民間に行われていた有らゆる迷信は、殆んど室町期に大成されたものであって、我国の迷信史においては、平安期と対立して重要なる位置を占め、殊に前者が貴族的であるに反して、後者が民衆的であっただけに、一段と関心すべき内容を有しているのである。斯うした世相において、巫覡の徒が、民間信仰に培われた八百比丘尼を利用し、これを言い立てて、漂泊と収入の便としたことは見易いことである。「康富紀」文安六年五月の条に『若狭白比丘尼上洛、又東国比丘尼於洛中致談議事』と記し(中山曰。目録のみ本文は欠けている)、更に「臥雲日件録」文安六年七月二十六日の条に『近時八百歳老尼、若州より洛に入る。洛中のもの争ひ観んとす。堅く居るところの門戸を閉て、人に容易く看せしめず、かかれば貴者は百銭を出し、賎者は十銭を出す、然らざれば門に入ることを許さず』とあるのは〔二九〕、全く伝説を利用した計画の図星に当ったものと云えるのである。


而して此の尼が手にした椿(又尼が植えたという椿山は既記の能登の外にも各地にある)こそ、古き熊野神が諾尊の<ruby><rb>唾液</rb><rp>(</rp><rt>ツバキ</rt><rp>)</rp></ruby>から化生した事を象徴したものであって、然も此の椿が(我国のと支那のと同字異木である事は既述した)嘉樹瑞木としてよりは、更に我国における生命の木とまで信仰されるようになったので、これを持つことが、彼女の巫女であったことを物語っているのである。猶お、八百比丘尼と対立して考うべきものに、七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>を有した巫女の在ったことである。これは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第三節|後段]]に述べるが、彼之を参照するとき、此の種の巫女が室町期に出現するのも、決して偶然でないことが知られるのである。
而して此の尼が手にした椿(又尼が植えたという椿山は既記の能登の外にも各地にある)こそ、古き熊野神が諾尊の<ruby><rb>唾液</rb><rp>(</rp><rt>ツバキ</rt><rp>)</rp></ruby>から化生した事を象徴したものであって、然も此の椿が(我国のと支那のと同字異木である事は既述した)嘉樹瑞木としてよりは、更に我国における生命の木とまで信仰されるようになったので、これを持つことが、彼女の巫女であったことを物語っているのである。猶お、八百比丘尼と対立して考うべきものに、七難の<ruby><rb>揃毛</rb><rp>(</rp><rt>ソソゲ</rt><rp>)</rp></ruby>を有した巫女の在ったことである。これは[[日本巫女史/第二篇/第五章/第三節|後段]]に述べるが、彼之を参照するとき、此の種の巫女が室町期に出現するのも、決して偶然でないことが知られるのである。
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