「日本巫女史/総論/第一章/第一節」を編集中
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: 中山曰。東北人は、清濁の発音に往々明確を欠き、前掲のイタコなども、大半は濁ってイダコと云うている。これから見ても、此の語がイチコの延言訛語なることは、深く言うまでもあるまい。 | : 中山曰。東北人は、清濁の発音に往々明確を欠き、前掲のイタコなども、大半は濁ってイダコと云うている。これから見ても、此の語がイチコの延言訛語なることは、深く言うまでもあるまい。 | ||
座頭嬶(ザトカヽ) 同国仙北郡 郷土研究(四巻四号) | |||
: 中山曰。東北地方に於ける座頭は、一にボサマとも称して、古き盲僧の面影を濃厚に伝えている。而して是等の妻女は、概して巫女であったので、遂にかかる俚称を負うようになったのであろうと考える。 | : 中山曰。東北地方に於ける座頭は、一にボサマとも称して、古き盲僧の面影を濃厚に伝えている。而して是等の妻女は、概して巫女であったので、遂にかかる俚称を負うようになったのであろうと考える。 | ||
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: 中山曰。前記の「アガタカタリ」の下略であることは、言うまでもないが、ただ斯かる古語が、今に残っているところが、珍重すべきである。 | : 中山曰。前記の「アガタカタリ」の下略であることは、言うまでもないが、ただ斯かる古語が、今に残っているところが、珍重すべきである。 | ||
笹帚き(サヽハタキ) 常陸国久慈郡の一部 栗ノ木三次氏 | |||
: | : 中山曰。大正五年八月に、ネフスキー氏と同地方に旅行した折に、同郡天下野村の小学校長である栗木氏から聴いたものである。「新編常陸国誌」巻十二にもサヽハタキの名称が載せてある所から推すと、此の話は信用して差支ないようである。而して此の名は、呪術の作法から負うたもので、巫女が自己催眠の状態に入るには、その師承の流儀により、種々なる方法と、種々なる器具を要するのであるが、両手に小笹の枝を持ち、それで自分の顔をはたきながら(湯立巫女の笹で全身をたたくのと交渉あることは勿論である)呪術をすすめるのも一方法であって、サヽハタキの称えは、これに由来するのである。猶お、巫女の持物や、笹はたきの呪法に就いては、本文後段に詳述する。 | ||
モリコ 同国新治郡地方 浜田徳太郎氏 | モリコ 同国新治郡地方 浜田徳太郎氏 | ||
167行目: | 167行目: | ||
ノノウ 信濃国小県郡地方 角田千里氏 | ノノウ 信濃国小県郡地方 角田千里氏 | ||
: | : 中山曰。巫女をノノウと言うのは、或は子供達が神や仏をノヽサンと呼ぶほどの敬語から来たのではないかと思うが、併しこれだけでは、何となく物足らぬ気がする。敢えて後賢を俟つ。但し同地方では、巫女を陰で賤しめて言うときはボッポㇰと称している。 | ||
旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞 | 旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞 | ||
188行目: | 188行目: | ||
: 中山曰。此の二称は、改めて説明するまでもなく、前に記したところで、解釈が出来ようと思う。 | : 中山曰。此の二称は、改めて説明するまでもなく、前に記したところで、解釈が出来ようと思う。 | ||
叩き巫女(タヽキミコ) 播磨国 物類称呼(巻一) | |||
: 中山曰。弓をたたきて呪術を行いしより負うた名である。而して此の俚称を用いている所は、紀州田辺町を始めとして、各地にあるが、今は煩を避けて省略する。 | : 中山曰。弓をたたきて呪術を行いしより負うた名である。而して此の俚称を用いている所は、紀州田辺町を始めとして、各地にあるが、今は煩を避けて省略する。 | ||