日本巫女史/総論/第一章/第一節」を編集中

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巫覡(カンナギ、ヲノコカンナギ) 倭名類聚抄
巫覡(カンナギ、ヲノコカンナギ) 倭名類聚抄
: 和名抄(巻二)に云う。『説文<sub>ニ</sub>云巫{無ノ反和名/加牟奈岐}祝女也、文字集略<sub>ニ</sub>云覡<sub>ハ</sub>{乎乃古加/牟奈岐}男祝也』倭訓栞に「かんなぎ」神<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナギ</rt><rp>)</rp></ruby>の義也、神慮をなごむる意也云々。
: 和名抄(巻二)に云う。『説文<sub>ニ</sub>云巫{無ノ反和名/加牟奈岐}祝女也、文字集略<sub>ニ</sub>云覡<sub>ハ</sub>{乎乃古加/牟奈岐}男祝也』倭訓栞に「かんなぎ」神<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>ナギ</rt><rp>)</rp></ruby>の義也、神慮をなごむる意也云々。
: 中山曰。源氏物語(四五)橋姫の条に『あやしく夢かたり<u>かむなぎ</u>やうのものの、とはず語りするやうに、めづらかにおぼさる』云々とあるより推せば、古くから巫女を斯く呼んだものと見える。祝女に就いては、普通の巫女とは異るものがあると考えるので、本文の後段に詳述する。而してカンナギは神社に奉仕する巫女を通称したものである。
: 中山曰。源氏物語(四五)橋姫の条に『あやしく夢かたり<u>かむなぎ</u>やうのものゝ、とはず語りするやうに、めづらかにおぼさる』云々とあるより推せば、古くから巫女を斯く呼んだものと見える。祝女に就いては、普通の巫女とは異るものがあると考えるので、本文の後段に詳述する。而してカンナギは神社に奉仕する巫女を通称したものである。


キネ 古今和歌集
キネ 古今和歌集
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女別当(オンナベッタウ) 羽黒神社 出羽国風土略記
女別当(オンナベッタウ) 羽黒神社 出羽国風土略記
: 同書(巻二)に『雅集(私註。三山雅集なり)に云、女別当職といふもの有て、諸国の巫女を司り、神託勘弁の家業也(原註。最上郡新庄七所明神に、女にて奉仕する者有り、又土俗是を<u>鶴子のかみ</u>といふ。秋田城内の<u>いなり</u>に女にて奉仕する者あり、五十石領す、女別当と称するは此類にや)今も信州には智憲院より許状を得て、羽黒派の<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>とて神託する者ありとぞ。寛文年中聖護院の宮ならびに神祇長上より被仰出たる書付、又公儀より着添被仰出たる書付の趣にも、神託宣等する神子は、寺家の手に属するものとは見えず、荘内には羽黒派の神子とて神託するもの、千早舞衣等着する者あり』云々。
: 同書(巻二)に『雅集(私註。三山雅集なり)に云、女別当職といふもの有て、諸国の巫女を司り、神託勘弁の家業也(原註。最上郡新庄七所明神に、女にて奉仕する者有り、又土俗是を<u>鶴子のかみ</u>といふ。秋田城内の<u>いなり</u>に女にて奉仕する者あり、五十石領す、女別当と称するは此類にや)今も信州には智憲院より許状を得て、羽黒派の<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>とて神託する者ありとぞ。寛文年中聖護院の宮ならびに神祇長上より被仰出たる書付、又公儀より着添被仰出たる書付の趣にも、神託宣等する神子は、寺家の手に属するものとは見えず、荘内には羽黒派の神子とて神託するもの、千早舞衣等着する者あり』云々。
: 更に同書(同巻)に『神子、左(鶴岡七日町に在り)寄木(仙道に在り)とて、両女は料六石三斗づつ、羽源記に云ふ、仙道の寄木大梵寺の左なといふ神子共、一生不犯の行体にて加持しけるにとあり』云々。
: 更に同書(同巻)に『神子、左(鶴岡七日町に在り)寄木(仙道に在り)とて、両女は料六石三斗づゝ、羽源記に云ふ、仙道の寄木大梵寺の左なといふ神子共、一生不犯の行体にて加持しけるにとあり』云々。
: 中山曰。左は、ヒダリと訓むか、アテラと訓むか、判然せぬ。後考を俟つ。寄木はヨリキで、尸坐(ヨリマシ)の意に外ならぬ。「三山雅集」に、寄木の文字に囚われて、霊木漂着の奇談を以て、これが説明を試みているのは附会であって、採るに足らぬ。
: 中山曰。左は、ヒダリと訓むか、アテラと訓むか、判然せぬ。後考を俟つ。寄木はヨリキで、尸坐(ヨリマシ)の意に外ならぬ。「三山雅集」に、寄木の文字に囚われて、霊木漂着の奇談を以て、これが説明を試みているのは附会であって、採るに足らぬ。


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佾(イツ) 土佐国 郷土研究
佾(イツ) 土佐国 郷土研究
: 同誌(壱巻壱号)に、諸神社録を引用して『土佐で多くの社に佾と云ふ者が居るのも、亦是で(中山曰。巫女の意)であらう。其住所を佾屋敷と云ひ、或は男の神主を佾太夫などとも云ふ』云々。
: 同誌(壱巻壱号)に、諸神社録を引用して『土佐で多くの社に佾と云ふ者が居るのも、亦是で(中山曰。巫女の意)であらう。其住所を佾屋敷と云ひ、或は男の神主を佾太夫などゝも云ふ』云々。
: 更に富岡町志(阿波国那賀郡)所載の延宝二年学原村棟付帳に『いち神子に入むこ、太次兵衛、此者渭津(中山曰。イツと訓む)籠屋町しやくわん(左官)次兵衛いとこ寛文拾年に参居申候』とある。巫覡をイツと称したのは、独り土佐ばかりでなく、広く四国に及んでいたのではあるまいか。
: 更に富岡町志(阿波国那賀郡)所載の延宝二年学原村棟付帳に『いち神子に入むこ、太次兵衛、此者渭津(中山曰。イツと訓む)籠屋町しやくわん(左官)次兵衛いとこ寛文拾年に参居申候』とある。巫覡をイツと称したのは、独り土佐ばかりでなく、広く四国に及んでいたのではあるまいか。
: 猶お「土佐国職人歌合」に、博士(呪師)とあるのは、外法箱ようの物に弓を置き、左手に幣を、右手に棒を持っているのは、尋常の神道者ではない。恐らく佾太夫の一種ではあるまいかと思う。
: 猶お「土佐国職人歌合」に、博士(呪師)とあるのは、外法箱ようの物に弓を置き、左手に幣を、右手に棒を持っているのは、尋常の神道者ではない。恐らく佾太夫の一種ではあるまいかと思う。
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