「日本巫女史/総論/第一章/第一節」を編集中
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旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞 | 旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞 | ||
: 中山曰。巫女が性的職業婦人を兼ねていた事には、段々と説明すべき資料が残されているが、その古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby> | : 中山曰。巫女が性的職業婦人を兼ねていた事には、段々と説明すべき資料が残されているが、その古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>は、即ち巫娼である。下に載せた甲斐で巫女を白湯文字と呼ぶのも、又此の意味に外ならぬのである。猶お、この事に就いては、本文中に詳述する。 | ||
イチイ 同国松本市地方 胡桃沢勘内氏 | イチイ 同国松本市地方 胡桃沢勘内氏 | ||
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白湯文字(シロユモヂ) 甲斐国の一部 内藤文吉氏 | 白湯文字(シロユモヂ) 甲斐国の一部 内藤文吉氏 | ||
: 中山曰。甲斐国で古く巫女を白湯文字と称したことを、同国の地誌である「裏見寒話」(宝暦頃の写本)で見た記憶があるが、同書が座右にないので、参照することが出来ぬ。ここには内藤氏の教示のままを載せるとする。而して此の語原は、甲斐の隣国である信濃は、<ruby><rb>歩</rb><rp>(</rp><rt>アル</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby> | : 中山曰。甲斐国で古く巫女を白湯文字と称したことを、同国の地誌である「裏見寒話」(宝暦頃の写本)で見た記憶があるが、同書が座右にないので、参照することが出来ぬ。ここには内藤氏の教示のままを載せるとする。而して此の語原は、甲斐の隣国である信濃は、<ruby><rb>歩</rb><rp>(</rp><rt>アル</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の本場(この詳細は本文に記述する)とて、関八州は勿論のこと、遠くは近畿地方まで出かけたものである。信濃巫女は常に二三人づつ連れ立ち、一人の荷物を伴うているが、道中する時、着衣の裾を褰げ、白湯文字を出して歩くので、遂に此の名で呼ばれるようになったのである。「郷土研究」一巻四号の記事によると、紀州の田辺地方でも、信濃巫女の特徴は白湯文字であったと載せてある。此の名は、巫女の風俗から負うたものであるが、更に土娼の白湯文字の俚称のある次第と、巫女との関係は、本文中に詳記する考えである。 | ||
寄せ巫女(ヨセミコ) 三河国苅谷郡地方 加藤巌氏<br/> | 寄せ巫女(ヨセミコ) 三河国苅谷郡地方 加藤巌氏<br/> |