日本巫女史/総論/第一章/第一節」を編集中

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巫女史の研究には、先ずその主体となっている巫女の種類、及び巫女の名称を掲げ、これが概念だけでも与えて置くことが、これから後の記述をすすめる上に必要であり、且つ便利が多いと考えるので、ここにそれ等を列挙し、併せて、その語原等に就き、先学の考察と、私見とを、簡単に加えるとする。
巫女史の研究には、先ずその主体となっている巫女の種類、及び巫女の名称を掲げ、これが概念だけでも与えて置くことが、これから後の記述をすすめる上に必要であり、且つ便利が多いと考えるので、ここにそれ等を列挙し、併せて、その語原等に就き、先学の考察と、私見とを、簡単に加えるとする。


私は便宜上、巫女を分類して、<ruby><rb>神和</rb><rp>(</rp><rt>かんなぎ</rt><rp>)</rp></ruby>系の<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>と、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>くちよせ</rt><rp>)</rp></ruby>系の<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>との二種とする。勿論、巫女の発生した当時にあっては、かかる種類の存すべき筈はないが、時勢の起伏と、信仰の推移とは、巫女の呪術的職掌や、社会的地位にも変動を来たし、その結果は、遂に幾多の分化を見るようになったのである。而して私は、宮中及び各地の名神・大社に附属して、一定の給分を受けた公的の者を神和系の神子とし、これに反して、神社を離れて町村に土着し、又は各地を漂泊して、一回の呪術に対して、一回の報酬を得た私的の者を口寄系の巫女とする。更に、記述の混雑を防ぐために、前者の総称を<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>と呼び、後者の汎称を<ruby><rb>市子</rb><rp>(</rp><rt>いちこ</rt><rp>)</rp></ruby>と呼ぶこととした。
私は便宜上、巫女を分別して、<ruby><rb>神和</rb><rp>(</rp><rt>かんなぎ</rt><rp>)</rp></ruby>系の<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>と、<ruby><rb>口寄</rb><rp>(</rp><rt>くちよせ</rt><rp>)</rp></ruby>系の<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>との二種とする。勿論、巫女の発生した当時にあっては、かかる種類の存すべき筈はないが、時勢の起伏と、信仰の推移とは、巫女の呪術的職掌や、社会的地位にも変動を来たし、その結果は、遂に幾多の分化を見るようになったのである。而して私は、宮中及び各地の名神・大社に附属して、一定の給分を受けた公的の者を神和系の神子とし、これに反して、神社を離れて町村に土着し、又は各地を漂泊して、一回の呪術に対して、一回の報酬を得た私的の者を口寄系の巫女とする。更に、記述の混雑を防ぐために、前者の総称を<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>みこ</rt><rp>)</rp></ruby>と呼び、後者の汎称を<ruby><rb>市子</rb><rp>(</rp><rt>いちこ</rt><rp>)</rp></ruby>と呼ぶこととした。


'''第一 神和系に属する神子の名称'''
'''第一 神和系に属する神子の名称'''
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姉子(アネコ) 松屋筆記
姉子(アネコ) 松屋筆記
: 同書(巻七十四)に『曾禰好忠家集冬十首の中に「神まつる冬は半に成にけり、<u>あねこ</u>かねやに榊をりしき」云々。新撰六帖(第一帖)に冬夜知家「冬来ては<u>あねこ</u>か閨のたかすかき幾夜すき間の風そさむけき」云々。按に<u>あねご</u>は<ruby><rb>巫祝</rb><rp>(</rp><rt>キネ</rt><rp>)</rp></ruby>を云ふ。催馬楽酒殿歌に「あまの原ふりさけ見ればやへ雲の、雲の中なる雲の中との中臣の、あまの小菅を<ruby><rb>割</rb><rp>(</rp><rt>サキ</rt><rp>)</rp></ruby>はらひ、祈りし事は今日の日のため、<u>あなご</u>や<ruby><rb>吾皇</rb><rp>(</rp><rt>ワカスベ</rt><rp>)</rp></ruby>の神の神ろぎのよさこ」とある。「あなご」は「あねご」の通音也云々。「あねご」の「あ」は<ruby><rb>吾</rb><rp>(</rp><rt>ア</rt><rp>)</rp></ruby>にて、<ruby><rb>吾君吾児</rb><rp>(</rp><rt>アギアゴ</rt><rp>)</rp></ruby>などの如く親みの詞也。「ねご」は「ねぎ」の通音なるべし』とある。
: 同書(巻七十四)に『曾禰好忠家集冬十首の中に「神まつる冬は半に成にけり、<u>あねこ</u>かねやに榊をりしき」云々。新撰六帖(第一帖)に冬夜知家「冬来ては<u>あねこ</u>か閨のたかすかき幾夜すき間の風そさむけき」云々。按に<u>あねご</u>は<ruby><rb>巫祝</rb><rp>(</rp><rt>キネ</rt><rp>)</rp></ruby>を云ふ。催馬楽酒殿歌に「あまの原ふりさけ見ればやへ雲の、雲の中なる雲の中との中臣の、あまの小菅を<ruby><rb>割</rb><rp>(</rp><rt>サキ</rt><rp>)</rp></ruby>はらひ、祈りし事は今日の日のため、<u>あなご</u>や<ruby><rb>吾皇</rb><rp>(</rp><rt>ワカスベ</rt><rp>)</rp></ruby>の神の神ろぎのよさこ」とある。「あなご」は「あねご」の通音也云々。「あねご」の「あ」は<ruby><rb>吾</rb><rp>(</rp><rt>ア</rt><rp>)</rp></ruby>にて、<ruby><rb>吾君吾児</rb><rp>(</rp><rt>アギアゴ</rt><rp>)</rp></ruby>などの如く親みの詞也。「ねご」は「ねぎ」の通音なるべし』とある。
: 中山曰。「あねこ」の語は、熱田縁起(此の書が従来一部の間に称えられているように価値あるものか否かに就いては私見があるも今は略す)に、倭尊の御歌として『愛知かた氷上姉子は我来むと、床避くらむや、あはれ姉子は』と載せてあり、古く用いられていた語ではあるが、此の語を巫女の義に解釈したのは、寡見の及ぶ限りでは「松屋筆記」以外には無いようである。而して私は、此の解釈は、高田与清翁の卓見であって、それは家族的巫女(職業的巫女の生れる以前)の遠い昔を偲ばせる手掛りとして納得される。猶おこれに就いては、本文の「をなり神」の条に詳記する考えである。而して、キネも、アネコも、又カンナギの如く、神社に奉仕した一般の巫女を称したものであろう。
: 中山曰。「あねこ」の語は、熱田縁起(此の書が従来一部の間に称えられているように価値あるものか否かに就いては私見があるも今は略す)に、倭尊の御歌として『愛知かた氷上姉子は我来むと、床避くらむや、あれは姉子は』と載せてあり、古く用いられていた語ではあるが、此の語を巫女の義に解釈したのは、寡見の及ぶ限りでは「松屋筆記」以外には無いようである。而して私は、此の解釈は、高田与清翁の卓見であって、それは家族的巫女(職業的巫女の生れる以前)の遠い昔を偲ばせる手掛りとして納得される。猶おこれに就いては、本文の「をなり神」の条に詳記する考えである。而して、キネも、アネコも、又カンナギの如く、神社に奉仕した一般の巫女を称したものであろう。


古曾(コソ) 日本書紀
古曾(コソ) 日本書紀
: 「孝徳記」大化元年春二月の条に『<ruby><rb>神社福草</rb><rp>(</rp><rt>カミコソノサキクサ</rt><rp>)</rp></ruby>』の名が見え、「続日本紀」和銅三年正月の条に『<ruby><rb>神社</rb><rp>(</rp><rt>カミコソ</rt><rp>)</rp></ruby>忌寸河内、授従五位下』と載せ、万葉集巻六に『<ruby><rb>神社</rb><rp>(</rp><rt>カミコソ</rt><rp>)</rp></ruby>老麻呂』の名があり、「延喜神名帳」に『近江国浅井郡上許曾神社』を挙げ、此の外にも、古曾の用例は、諸書に散見している。これに就き「書紀通証」には『天武紀、社戸訓古曾倍、万葉集、乞字亦訓古曾、盖神社則人之所為祈願、故訓社為古曾』云々とあるが、私に言わせると、少しく物足りぬ気がする。
: 「孝徳記」大化元年春二月の条に『<ruby><rb>神社福草</rb><rp>(</rp><rt>カミコソノサキクサ</rt><rp>)</rp></ruby>』の名が見え、「続日本紀」和銅三年正月の条に『<ruby><rb>神社</rb><rp>(</rp><rt>カミコソ</rt><rp>)</rp></ruby>忌河内、授従五位下』と載せ、万葉集巻六に『<ruby><rb>神社</rb><rp>(</rp><rt>カミコソ</rt><rp>)</rp></ruby>老麻呂』の名があり、「延喜神名帳」に『近江国浅井郡上許曾神社』を挙げ、此の外にも、古曾の用例は、諸書に散見している。これに就き「書紀通証」には『天武紀、社戸訓古曾倍、万葉集、乞字亦訓古曾、盖神社則人之所為祈願、故訓社為古曾』云々とあるが、私に言わせると、少しく物足りぬ気がする。
: 私は、古曾は、巫女の意に用いたものであって、巫女が神社に属していて、祈願を乞うとき之を煩わしたので、後に神社を古曾と云うようになったのであると考えている。伊勢斎宮の寮頭藤原通高の妻が、古木古曾と称して詐巫を行い(此の事は本文中に述べた)しこと、宇津保物語に古曾女の名あることなどを思い合せると、古曾は巫女の一称と考えても大過ないようである。
: 私は、古曾は、巫女の意に用いたものであって、巫女が神社に属していて、祈願を乞うとき之を煩わしたので、後に神社を古曾と云うようになったのであると考えている。伊勢斎宮の寮頭藤原通高の妻が、小木古曾と称して詐巫を行い(此の事は本文中に述べた)しこと、宇津保物語に古曾女の名あることなどを思い合せると、古曾は巫女の一称と考えても大過ないようである。


物忌(モノイミ) 伊勢皇大神宮 大神宮儀式帳
物忌(モノイミ) 伊勢皇大神宮 大神宮儀式帳
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斎子(イツキコ) 松尾神社 伊呂波字類抄
斎子(イツキコ) 松尾神社 伊呂波字類抄
: 同書、松尾条の細註に『本朝文集云、大宝元年秦都理始建立神殿、立阿礼居斎子供奉』とある。
: 同書、松尾条の細註に『本朝文集云、大宝元秦都理始建立神殿、立阿礼居斎子供奉』とある。
: 中山曰。従来、巫女をイチコと称せる語原説は、概してイツキコの転訛(他にも一説ある)であると言われているが、私には左袒することが出来ぬ。イチコの語原に関する私見は、後段に述べるが、読者は予め此の事に留意してもらいたい。
: 中山曰。従来、巫女をイチコと称せる語原説は、概してイツキコの転訛(他にも一説ある)であると言われているが、私には左袒することが出来ぬ。イチコの語原に関する私見は、後段に述べるが、読者は予め此の事に留意してもらいたい。


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市子(イチコ) 殆ど全国に行わる 吾妻鏡
市子(イチコ) 殆ど全国に行わる 吾妻鏡
: 同書(巻二)治承五年七月八日の条に、『相模国大庭厨等<u>一古</u>娘依召参上、奉行遷宮事』云々。
: 同書(巻二)治承五年七月八日の条に、『相模国大庭厨等<u>一古</u>娘依召参上、奉行遷宮事』云々。
: 中山曰。イチコの名称の文献に現われたのは、寡見の及ぶ限りでは、吾妻鏡が最初のように思われる。而してイチコの語原に就いては、二説ある。(一)は前に載せたイツキコ転訛説で、(二)は「新編常陸国誌」巻十二に記してある中山信名の考証である。ここにその要を摘むに、『市子と云ふは、元市に出て此事を為せし故なり。其証は日本後紀に延暦十五年七月二十二日辛亥、生江臣家道女、逓送本国、家道女越前国足羽郡人、常於市鄽妄説罪福、眩惑百姓、世に号曰越優婆夷とあり。市子の事を市殿と云ひしことは義残後覚にも見えたり』云々。
: 中山曰。イチコの名称の文献に現われたのは、寡見の及ぶ限りでは、吾妻鏡が最初のように思われる。而してイチコの語原に就いては、二説ある。(一)は前に載せたイツキコ転訛説で、(二)は「新編常陸国誌」巻十二に記してある中山信名の考証である。ここにその要を摘むに、『市子と云ふは、元市に出て此事を為せし故なり。其証は日本後紀に延暦十五年七月二十二日辛亥、生江臣家道女、逓送本国、家道女越前国足羽郡人、当於市鄽妄説罪福、眩惑百姓、世に号曰越優婆夷とあり。市子の事を市殿と云ひしことは義残後覚にも見えたり』云々。
: 中山曰。私には此の考証も承認することが出来ぬのである。而して、私案を簡単に言えば、イチとは琉球語のイチジャマ(呪詛する人の意)のイチと同じ語根に属するもので、古くはイチの語に呪詛の意の在りしものと考えている(朝鮮巫俗考に由れば、朝鮮の古代に神市氏というが在ったと記している。或はイチの語は北方系の古語ではあるまいか)。武蔵及び信濃の一部で、巫女をイチイと呼んだは、偶々此の古語の残存せる事を思わしめ、更に九州の大部分で、巫女をイチジョウと称しているのは、同じく琉球語と交渉あることを考えさせるものがある。敢て異を樹てるに急なるものではないが、記して高批を仰ぐとする。
: 中山曰。私には此の考証も承認することが出来ぬのである。而して、私案を簡単に言えば、イチとは琉球語のイチジャマ(呪詛する人の意)のイチと同じ語根に属するもので、古くはイチの語に呪詛の意の在りしものと考えている(朝鮮巫俗考に由れば、朝鮮の古代に神市氏というが在ったと記している。或はイチの語は北方系の古語ではあるまいか)。武蔵及び信濃の一部で、巫女をイチイと呼んだは、偶々此の古語の残存せる事を思わしめ、更に九州の大部分で、巫女をイチジョウと称しているのは、同じく琉球語と交渉あることを考えさせるものがある。敢て異を樹てるに急なるものではないが、記して高批を仰ぐとする。


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旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞
旅女郎(タビジョラウ) 長野市附近 長野新聞
: 中山曰。巫女が性的職業婦人を兼ねていた事には、段々と説明すべき資料が残されているが、その古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>は、即ち巫娼である。下に載せた甲斐で巫女を白湯文字と呼ぶのも、又此の意味に外ならぬのである。猶お、この事に就いては、本文中に[[日本巫女史/第三篇/第二章/第三節|詳述]]する。
: 中山曰。巫女が性的職業婦人を兼ねていた事には、段々と説明すべき資料が残されているが、その古い<ruby><rb>相</rb><rp>(</rp><rt>すがた</rt><rp>)</rp></ruby>は、即ち巫娼である。下に載せた甲斐で巫女を白湯文字と呼ぶのも、又此の意味に外ならぬのである。猶お、この事に就いては、本文中に詳述する。


イチイ 同国松本市地方 胡桃沢勘内氏
イチイ 同国松本市地方 胡桃沢勘内氏
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白湯文字(シロユモヂ) 甲斐国の一部 内藤文吉氏
白湯文字(シロユモヂ) 甲斐国の一部 内藤文吉氏
: 中山曰。甲斐国で古く巫女を白湯文字と称したことを、同国の地誌である「裏見寒話」(宝暦頃の写本)で見た記憶があるが、同書が座右にないので、参照することが出来ぬ。ここには内藤氏の教示のままを載せるとする。而して此の語原は、甲斐の隣国である信濃は、<ruby><rb>歩</rb><rp>(</rp><rt>アル</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の本場(この詳細は本文に記述する)とて、関八州は勿論のこと、遠くは近畿地方まで出かけたものである。信濃巫女は常に二三人づつ連れ立ち、一人の荷物を伴うているが、道中する時、着衣の裾を褰げ、白湯文字を出して歩くので、遂に此の名で呼ばれるようになったのである。「郷土研究」一巻四号の記事によると、紀州の田辺地方でも、信濃巫女の特徴は白湯文字であったと載せてある。此の名は、巫女の風俗から負うたものであるが、更に土娼の白湯文字の俚称のある次第と、巫女との関係は、本文中に[[日本巫女史/第三篇/第二章/第三節|詳記]]する考えである。
: 中山曰。甲斐国で古く巫女を白湯文字と称したことを、同国の地誌である「裏見寒話」(宝暦頃の写本)で見た記憶があるが、同書が座右にないので、参照することが出来ぬ。ここには内藤氏の教示のままを載せるとする。而して此の語原は、甲斐の隣国である信濃は、<ruby><rb>歩</rb><rp>(</rp><rt>アル</rt><rp>)</rp></ruby>き<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>の本場(この詳細は本文に記述する)とて、関八州は勿論のこと、遠くは近畿地方まで出かけたものである。信濃巫女は常に二三人づつ連れ立ち、一人の荷物を伴うているが、道中する時、着衣の裾を褰げ、白湯文字を出して歩くので、遂に此の名で呼ばれるようになったのである。「郷土研究」一巻四号の記事によると、紀州の田辺地方でも、信濃巫女の特徴は白湯文字であったと載せてある。此の名は、巫女の風俗から負うたものであるが、更に土娼の白湯文字の俚称のある次第と、巫女との関係は、本文中に詳記する考えである。


寄せ巫女(ヨセミコ) 三河国苅谷郡地方 加藤巌氏<br/>
寄せ巫女(ヨセミコ) 三河国苅谷郡地方 加藤巌氏<br/>
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: 中山曰。語原は改めて説明するまでもないほど明瞭のものであるが、使用された地方の判然しないのは物足らぬが、敢て掲げるとした。一殿に就いて、神道名目類聚抄の著者は「神楽みこ」なりと云うているが、私はイチの語原から推して、単なる「神楽みこ」とは考えられぬので、ここに挙げることとした。
: 中山曰。語原は改めて説明するまでもないほど明瞭のものであるが、使用された地方の判然しないのは物足らぬが、敢て掲げるとした。一殿に就いて、神道名目類聚抄の著者は「神楽みこ」なりと云うているが、私はイチの語原から推して、単なる「神楽みこ」とは考えられぬので、ここに挙げることとした。


猶お、此の他に、<ruby><rb>里巫女</rb><rp>(</rp><rt>サトミコ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>村巫女</rb><rp>(</rp><rt>ムラミコ</rt><rp>)</rp></ruby>、熊野巫女、<ruby><rb>上原</rb><rp>(</rp><rt>カンバラ</rt><rp>)</rp></ruby>太夫、<ruby><rb>白山相人</rb><rp>(</rp><rt>ハクサンザウニン</rt><rp>)</rp></ruby>など記すべき者もあるが、今は大体を尽すにとどめて、他は必要の機会のあるごとに本文中に記述するとした。
猶お、此の他に、<ruby><rb>里巫女</rb><rp>(</rp><rt>サトミコ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>村巫女</rb><rp>(</rp><rt>ムラミコ</rt><rp>)</rp></ruby>、熊野巫女、<ruby><rb>上原</rb><rp>(</rp><rt>カンバラ</rt><rp>)</rp></ruby>巫女、<ruby><rb>白山相人</rb><rp>(</rp><rt>ハクサンザウニン</rt><rp>)</rp></ruby>など記すべき者もあるが、今は大体を尽すにとどめて、他は必要の機会のあるごとに本文中に記述するとした。


[[Category:中山太郎]]
[[Category:中山太郎]]
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