「日本巫女史/総論/第一章/第二節」を編集中
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'''三 巫女史と政治史との関係''' | '''三 巫女史と政治史との関係''' | ||
我国に関する最古の文献である魏志(巻三〇)の「倭人伝」によれば、倭国の主権者であった<ruby><rb>卑弥呼</rb><rp>(</rp><rt>ヒミコ</rt><rp>)</rp></ruby>なる者は『克事鬼神惑衆』ところの巫女に外ならぬのである。此の点から言えば、倭国の原始文化は、巫女によって代表され、呪術に精通したものが、一国の支配者としての、機能を有していたのであって、即ちフレザー氏の<ruby><rb>帝王の魔術的起原</rb><rp>(</rp><rt>マジカル・オリジン・オブ・キングス</rt><rp>)</rp></ruby> | 我国に関する最古の文献である魏志(巻三〇)の「倭人伝」によれば、倭国の主権者であった<ruby><rb>卑弥呼</rb><rp>(</rp><rt>ヒミコ</rt><rp>)</rp></ruby>なる者は『克事鬼神惑衆』ところの巫女に外ならぬのである。此の点から言えば、倭国の原始文化は、巫女によって代表され、呪術に精通したものが、一国の支配者としての、機能を有していたのであって、即ちフレザー氏の<ruby><rb>帝王の魔術的起原</rb><rp>(</rp><rt>マジカル・オリジン・オブ・キングス</rt><rp>)</rp></ruby>の学説を事実において証明しているのである。而して、斯くの如き事象は、独り我国ばかりでなく、我が内地にあっても、又明確に認められるのである。国語の政治を言える「まつりごと」が、祭事から出発している事を知るとき、古く我国が祭政一致であったことを覚ると同時に、巫女が政治の中心勢力者であったことを併せ考えねばならぬ。何となれば、我国で「まつりごと」の国語を生んだ時代にあっては、巫女それ自身が直ちに神であり、且つ巫女の最高者が主権者であったからである。 | ||
巫女史の立場から言えば、神璽と共殿同床した時代までは、巫女が政治の中心であったと考えることが出来るのである。然るに、政治と祭祀とが分離し、神を祭る者と民を治める者との区別が国法的に定められ、神それ自身であった巫女が一段と退化して、即ち<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>(神の子の意)として、神と人との間に介在するようになっても、猶お神託は、往往にして政治を動かす勢力を有していた。これ等に就いては、各時代において、例証を挙げて、詳記する考えであるが、巫女史と政治史との関係は、決して浅少なるものではないのである。 | 巫女史の立場から言えば、神璽と共殿同床した時代までは、巫女が政治の中心であったと考えることが出来るのである。然るに、政治と祭祀とが分離し、神を祭る者と民を治める者との区別が国法的に定められ、神それ自身であった巫女が一段と退化して、即ち<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>(神の子の意)として、神と人との間に介在するようになっても、猶お神託は、往往にして政治を動かす勢力を有していた。これ等に就いては、各時代において、例証を挙げて、詳記する考えであるが、巫女史と政治史との関係は、決して浅少なるものではないのである。 |