「日本巫女史/総論/第一章/第二節」を編集中
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濡れ衣といえば、現在では冤罪の意に解釈されているが、これは我が古代において、嫌疑者に濡れたる衣を着せ、その水の乾くことの遅速を以て、罪の有無を判じた事実に出発しているのである。更に神水を飲ませて罪を按じ、鉄火を握らせ、<ruby><rb>探湯</rb><rp>(</rp><rt>クガタチ</rt><rp>)</rp></ruby>をなさしめ、蛇に咬ませ、起誓の失を判じさせる等の、神判を掌っていた者は巫女であった。江戸期の初葉まで行われていた、神文の鐘を撞くという裁きも、その始めは巫女がこれを主宰していたのである。素尊が天津罪を犯した折に、諸神が神<ruby><rb>議</rb><rp>(</rp><rt>はか</rt><rp>)</rp></ruby>りに議りて、鬚を切り、爪を切り、千座の置座を負せて、神<ruby><rb>逐</rb><rp>(</rp><rt>はら</rt><rp>)</rp></ruby>い逐い給うたとあるのも、所詮は巫女が神意を問うての結果と見るべきである。こう考えて来ると、我国の法制史と巫女との交渉は、決して浅いものでは無いのである。 | 濡れ衣といえば、現在では冤罪の意に解釈されているが、これは我が古代において、嫌疑者に濡れたる衣を着せ、その水の乾くことの遅速を以て、罪の有無を判じた事実に出発しているのである。更に神水を飲ませて罪を按じ、鉄火を握らせ、<ruby><rb>探湯</rb><rp>(</rp><rt>クガタチ</rt><rp>)</rp></ruby>をなさしめ、蛇に咬ませ、起誓の失を判じさせる等の、神判を掌っていた者は巫女であった。江戸期の初葉まで行われていた、神文の鐘を撞くという裁きも、その始めは巫女がこれを主宰していたのである。素尊が天津罪を犯した折に、諸神が神<ruby><rb>議</rb><rp>(</rp><rt>はか</rt><rp>)</rp></ruby>りに議りて、鬚を切り、爪を切り、千座の置座を負せて、神<ruby><rb>逐</rb><rp>(</rp><rt>はら</rt><rp>)</rp></ruby>い逐い給うたとあるのも、所詮は巫女が神意を問うての結果と見るべきである。こう考えて来ると、我国の法制史と巫女との交渉は、決して浅いものでは無いのである。 | ||
猶お、巫女史は、此の外にも、原始神道史や、民間信仰史にも、深甚なる交渉を有していることは言うまでもないが、これ等に就いては 本文中に詳記する機会があるので、今は省略する。 | |||
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