「日本巫女史/総論/第一章/第二節」を編集中
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'''五 巫女史と呪術史との関係''' | '''五 巫女史と呪術史との関係''' | ||
巫女の聖職は呪術を行うことに重大の使命が存していた。併しながら、巫女の行うた呪術は、我国における呪術の全体ではなくして、僅にその一部分にしか過ぎぬのである。呪術史の観点に起って、古代の祭祀を検討すれば、その機構をなしている重たる部分は、全く呪術の集成である。従って、神事の宗源と言われた天兒屋命及び太玉命は、公的の大呪術師とも考えられるのである。鹿の肩骨を灼いて太占を行うことも、更にこれが亀卜に代っても、その信仰の基調は呪術である。祝詞を発生的に考覈すれば、これの内容に、呪術の思想が濃厚に含まれていたことが、看取される。諾尊が黄泉軍を郤けるとき桃ノ実を投じたのも、神武帝が天ノ香山の土を採って平瓮を造られたのも、共に呪術の一種であると言うことが出来るのである。而して、国民の生活は、その悉くが殆ど呪術的であって、火を鑚るにも、水を汲むにも、更に誇張して言えば、寝るにも起きるにも、食うにも衣るにも、呪術の観念を疎外することは出来なかったのである。科学を知らなかった古代にあっては、呪術が生活の根蔕をなしていたのである。 | |||
然るに、巫女の行うた呪術は、これ等の多種多様の呪術より見れば、実にその一端にしか過ぎぬものであって、然もそれが後世になるほど、呪術の範囲が局限され、漸くその面影をとどめるという有様であった。それ故に、我国にも、欧米の心理学者、又は宗教学者が論ずるが如き、幾多の呪術の種類、及び呪術と宗教との交渉なども在って存するのであるが、これ等は一般の呪術史に関する問題であって、巫女史はこれに<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>あずか</rt><rp>)</rp></ruby>ることが尠いので、本書は出来るだけ此の種の問題には触れぬこととした。 | 然るに、巫女の行うた呪術は、これ等の多種多様の呪術より見れば、実にその一端にしか過ぎぬものであって、然もそれが後世になるほど、呪術の範囲が局限され、漸くその面影をとどめるという有様であった。それ故に、我国にも、欧米の心理学者、又は宗教学者が論ずるが如き、幾多の呪術の種類、及び呪術と宗教との交渉なども在って存するのであるが、これ等は一般の呪術史に関する問題であって、巫女史はこれに<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>あずか</rt><rp>)</rp></ruby>ることが尠いので、本書は出来るだけ此の種の問題には触れぬこととした。 |