「日本巫女史/総論/第一章/第二節」を編集中
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巫女の始めは神その者であった。従って、神が意のあるところを人に告げるには、その時代としては、出来るだけ荘厳にして、華麗なる口語を以てしたに相違ない。我国の<ruby><rb>祝詞</rb><rp>(</rp><rt>ノリト</rt><rp>)</rp></ruby>や、<ruby><rb>寿詞</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>は、ここに出発したのである。従って我国の叙事詩が、古きものほど一人称になっているのは、巫女が神として述べたことに出発しているためである。然るに、神の内容が変化し、巫女は神の子として、その託宣を取次ぐようになれば、巫女は神を降ろし、神を遊ばせ、神を<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>なご</rt><rp>)</rp></ruby>め、神を慰め、神を帰すなどの呪文を発明すべき必要があった。而して此の呪文は、古きに溯るほど、律語を以て唱えられるのが常であって、我国の歌謡は、かくして一段の発達を致したのである。巫女が唱えた是等の律語が、如何なるものであって、然もこれ等の律語と歌謡との関係、及び律語が歌謡化され、更に説話化されて、各地に分布された過程に就いては、本文に詳記する機会を保留するが、兎に角に、我国の文学史は、巫女の呪文によって、スタートが切られているのである。 | 巫女の始めは神その者であった。従って、神が意のあるところを人に告げるには、その時代としては、出来るだけ荘厳にして、華麗なる口語を以てしたに相違ない。我国の<ruby><rb>祝詞</rb><rp>(</rp><rt>ノリト</rt><rp>)</rp></ruby>や、<ruby><rb>寿詞</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>は、ここに出発したのである。従って我国の叙事詩が、古きものほど一人称になっているのは、巫女が神として述べたことに出発しているためである。然るに、神の内容が変化し、巫女は神の子として、その託宣を取次ぐようになれば、巫女は神を降ろし、神を遊ばせ、神を<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>なご</rt><rp>)</rp></ruby>め、神を慰め、神を帰すなどの呪文を発明すべき必要があった。而して此の呪文は、古きに溯るほど、律語を以て唱えられるのが常であって、我国の歌謡は、かくして一段の発達を致したのである。巫女が唱えた是等の律語が、如何なるものであって、然もこれ等の律語と歌謡との関係、及び律語が歌謡化され、更に説話化されて、各地に分布された過程に就いては、本文に詳記する機会を保留するが、兎に角に、我国の文学史は、巫女の呪文によって、スタートが切られているのである。 | ||
此の機会に、併せ言うべきことは、巫女史と舞踊史との関係である。我国の舞踊史は、その第一ページが巫女の祖先神と称せらるる天鈿女命によって飾られているのである。鈿女命の天ノ磐戸前における<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt> | 此の機会に、併せ言うべきことは、巫女史と舞踊史との関係である。我国の舞踊史は、その第一ページが巫女の祖先神と称せらるる天鈿女命によって飾られているのである。鈿女命の天ノ磐戸前における<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt>カムカガ</rt><rp>)</rp></ruby>りの状態が、跳躍教とまで言われるシャーマニズムのそれと、如何なる点まで民族学的に共通性を帯びているか否か、更に此の種の神憑りの状態を以て、直ちに舞踊と云うことが出来るか否か、更に我国の舞踊の起原が、性的行為の誇張化から出発しているか否かは、本文に詳述するとしても、巫女と舞踊とは、決して無関係であったとは言えぬのである。巫女と音楽の関係も又そうであって、我国の古代における楽器は、概して巫女が神を降し、神を和める折に用いたものであって、然もこれによって相当の発達を遂げたのである。猶お是等に就いても、段々と記述する考えである。 | ||
'''七 巫女史と経済史との関係''' | '''七 巫女史と経済史との関係''' |