日本巫女史/総論/第三章」を編集中

ナビゲーションに移動 検索に移動
警告: ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。ログインまたはアカウントを作成すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。

この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。

最新版 編集中の文章
83行目: 83行目:
然るに、明治四十四年九月、柳田国男先生は東京人類学雑誌(第廿巻第六号)に「イタカ及びサンカ」と題せる論文を発表された。これが我国における巫女史学の研究の権輿である。我が柳田先生は、東京帝国大学に於いて、夙に農政経済を専攻されたが、先生の篤学なる、我国の農政に関する多くの書籍及び記録等を読破された結果、更に農村の実際生活にも親しく触れる機会があったので、国法において厳しく制禁されいるにも拘らず、巫覡の潜勢力が根強く農村の間に喰い入っている事を、耳聞目睹せられた為めに、遂に此の論文を発表せらるるに至ったのであろうと思う。
然るに、明治四十四年九月、柳田国男先生は東京人類学雑誌(第廿巻第六号)に「イタカ及びサンカ」と題せる論文を発表された。これが我国における巫女史学の研究の権輿である。我が柳田先生は、東京帝国大学に於いて、夙に農政経済を専攻されたが、先生の篤学なる、我国の農政に関する多くの書籍及び記録等を読破された結果、更に農村の実際生活にも親しく触れる機会があったので、国法において厳しく制禁されいるにも拘らず、巫覡の潜勢力が根強く農村の間に喰い入っている事を、耳聞目睹せられた為めに、遂に此の論文を発表せらるるに至ったのであろうと思う。


而して更に柳田先生は、大正二年三月に雑誌「郷土研究」を発行され、第一巻第一号より「巫女考」と題せる研究を連載され、これは同巻第十二号にまで及んだ(同誌上には川村杳樹の匿名になっている)。此の「巫女考」は、柳田先生の多年の蘊蓄を傾倒されたものであって、巫女を中心として、或は原始神道の立場から、或は民俗学的の方面から、更に民間信仰の観点から、縦横にこれが考覈を試みられ、而して我が国民史、及び文化史上における、巫女の地位と、使命と、消長とを、明確に論断された。而して柳田先生は更にすすんで、巫女に深甚の関係を有していた「毛坊主」に就いて、同じ「郷土研究」の第二巻において、前後十一回の研究を連載され、猶お此の外に、同誌において巫覡関係の論文として幾多の有益なる研究を発表されているが、就中、一言主考(第四巻第一号)、和泉式部(同上四号)、老女化石譚(同上五六両号連載)、玉依姫考(同上十二号)等は、悉く前人未発の卓説であって、巫女研究のエポックメーキングとして、永久に我国の巫女史学の権威たるを失わぬのである。私の此の日本巫女史の如きも、専ら柳田先生の研究に刺激され啓発されたもので、平たく言えば、先生の研究が余りに高遠であり、且つ論旨が余りに深長であるので、それを平易に祖述したに外ならぬのである。
而して更に柳田先生は、大正二年三月に雑誌「郷土研究」を発行され、第一巻第一号より「巫女考」と題せる研究を連載され、これは同巻第十二号にまで及んだ(同誌上には川村杳樹の匿名になっている)。此の「巫女考」は、柳田先生の多年の蘊蓄を傾倒されたものであって、巫女を中心として、或は原始神道の立場から、或は民俗学的の方面から、更に民間信仰の観点から、縦横にこれが考覈を試みられ、而して我が国民史、及び文化史上における、巫女の地位と、使命と、消長とを、明確に論断された。而して柳田先生は更にすすんで、巫女に深甚の関係を有していた「毛坊主」に就いて、同じ「郷土研究」の第二巻において、前後十一回の研究を連載され、猶お此の外に、同誌において巫覡関係の論文として幾多の有益なる研究を発表されているが、就中、一言主考(第四巻第一号)、和泉式部(同上四号)、老女化石譚(同上五六両号連載)、玉依姫考(同上一二号)等は、悉く前人未発の卓説であって、巫女研究のエポックメーキングとして、永久に我国の巫女史学の権威たるを失わぬのである。私の此の日本巫女史の如きも、専ら柳田先生の研究に刺激され啓発されたもので、平たく言えば、先生の研究が余りに高速であり、且つ論旨が余りに深長であるので、それを平易に祖述したに外ならぬのである。


柳田先生によって提唱された巫女の研究、及び巫女と同じ運命に置かれた特種階級の賤民の考覈は、深く学界の注意を惹起し、大正八年一月に喜田貞吉氏が「民族と歴史」(後に社会史研究と改題す)を発行して、更に此の種の研究を鼓吹し、殊に巫覡関係の論文にあっては「憑物研究号」(第八巻第一号)を始めとして、有益なる多くの研究や史料が掲載されている。而して此の種の研究は、大正八九年頃より昭和の現時に至るに及んで、益々その程度を深め、遂に一種の学風をなして天下を風靡し、好学の士を起たして、此の種の単行本や雑誌が到るところで刊行されるまでの機運を作るに至った。先ず単行本としては柳田先生の「石神問答」、郷土研究社の「炉辺叢書」及び「第二叢書」、温故書房の「閑話叢書」及び「共古随筆」、総葉社の「日本民俗志」、甲陽堂の「民俗叢書」等を重なるものとして、故山路愛山氏の「神道論」(愛山講演集第二篇所収)、鳥居龍蔵氏の「日本周囲民俗の原始宗教」及び「人類学上より観たる我が上代の文化」など、到底ここには書名だけでも記せぬほどの刊行を見るに至った。而して直接巫女史学には関係せざるも、又以てこれが参考とすべきものには、津田左右吉氏の「古事記及び日本書紀の新研究」及び「神代史の研究」折口信夫氏の「日本文学の発生」(日本文学講座所載、及び「古代研究」所収)、土居光知氏の「文学序説」、武田祐吉氏の「神と神を祭る者との文学」、土田杏村氏の「文学の発生」、加藤咄堂氏の「日本宗教風俗史」及び「民間信仰史」等其他がある。更に雑誌にあっては、柳田先生の監修せられた「民族」竝びに折口信夫氏が編輯された「土俗と伝説」を始めとし、京都で発行された「郷土趣味」及び浜松市で発行された「土のいろ」など、これも誌名を挙げるだけでも容易ならぬほど多く存している。猶お、参考論文としては、内藤虎次郎氏の「卑弥呼考」(芸文所載)羽田享氏の「北方民族に於ける巫女に就いて」(芸文所載)、狩野直喜氏の「支那上代の巫、巫咸に就いて」、同じく「説巫補遺」、「続説巫補遺」、及び「支那古代祭尸の風俗に就いて」(以上は哲学研究、芸文等に掲載されたものであるが、後に編輯されて「支那学文叢」に収められた)等が、その重なるものである。
柳田先生によって提唱された巫女の研究、及び巫女と同じ運命に置かれた特種階級の賤民の考覈は、深く学界の注意を惹起し、大正八年一月に喜田貞吉氏が「民族と歴史」(後に社会史研究と改題す)を発行して、更に此の種の研究を鼓吹し、殊に巫覡関係の論文にあっては「憑物研究号」(第八巻第一号)を始めとして、有益なる多くの研究や史料が掲載されている。而して此の種の研究は、大正八九年頃より昭和の現時に至るに及んで、益々その程度を深め、遂に一種の学風をなして天下を風靡し、好学の士を起たして、此の種の単行本や雑誌が到るところで刊行されるまでの機運を作るに至った。先ず単行本としては柳田先生の「石神問答」、郷土研究社の「炉辺叢書」及び「第二叢書」、温故書房の「閑話叢書」及び「共古随筆」、総葉社の「日本民俗志」、甲陽堂の「民俗叢書」等を重なるものとして、故山路愛山氏の「神道論」(愛山講演集第二篇所収)、鳥居龍蔵氏の「日本周囲民俗の原始宗教」及び「人類学上より観たる我が上代の文化」など、到底ここには書名だけでも記せぬほどの刊行を見るに至った。而して直接巫女史学には関係せざるも、又以てこれが参考とすべきものには、津田左右吉氏の「古事記及び日本書紀の新研究」及び「神代史の研究」折口信夫氏の「日本文学の発生」(日本文学講座所載、及び「古代研究」所収)、土居光知氏の「文学序説」、武田祐吉氏の「神と神を祭る者との文学」、土田杏村氏の「文学の発生」、加藤咄堂氏の「日本宗教風俗史」及び「民間信仰史」等其他がある。更に雑誌にあっては、柳田先生の監修せられた「民族」竝びに折口信夫氏が編輯された「土俗と伝説」を始めとし、京都で発行された「郷土趣味」及び浜松市で発行された「土のいろ」など、これも誌名を挙げるだけでも容易ならぬほど多く存している。猶お、参考論文としては、内藤虎次郎氏の「卑弥呼考」(芸文所載)羽田享氏の「北方民族に於ける巫女に就いて」(芸文所載)、狩野直喜氏の「支那上代の巫、巫咸に就いて」、同じく「説巫補遺」、「続説巫補遺」、及び「支那古代祭尸の風俗に就いて」(以上は哲学研究、芸文等に掲載されたものであるが、後に編輯されて「支那学文叢」に収められた)等が、その重なるものである。
Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細はDocs:著作権を参照)。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!

このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (詳細):

取り消し 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)