「日本巫女史/総論/第三章」を編集中
ナビゲーションに移動
検索に移動
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
29行目: | 29行目: | ||
こういう事などが、双方から歩み寄って、遂に斯くの如き結果を馴致したのである。 | こういう事などが、双方から歩み寄って、遂に斯くの如き結果を馴致したのである。 | ||
平安期に入ると、巫覡の社会的位置は益々低下して、大同二年九月の「太政官符」の一節にある如き『巫覡之徒、好託禍福、庶民之愚、仰信妖言、淫祠斯繁、厭呪亦多、積習成俗、虧損淳風』の実状を呈し、更に、我国最初の<ruby><rb>百科全書</rb><rp>(</rp><rt>エンサイクロぺディア</rt><rp>)</rp></ruby> | 平安期に入ると、巫覡の社会的位置は益々低下して、大同二年九月の「太政官符」の一節にある如き『巫覡之徒、好託禍福、庶民之愚、仰信妖言、淫祠斯繁、厭呪亦多、積習成俗、虧損淳風』の実状を呈し、更に、我国最初の<ruby><rb>百科全書</rb><rp>(</rp><rt>エンサイクロぺディア</rt><rp>)</rp></ruby>である「倭名類聚鈔」には、巫覡を遊女、乞食、盗兒と同視して、乞盗部に載せるほどに堕落したのである。勿論、宮中及び名神・大社に附属していた神和系の神子にあっては、我国固有の古格を守り、是等の徒とは全く類を異にしていた事は言うまでもないが、神社に離れ、給分を失うた巫覡の輩は、概して倫落の淵に沈んでいたのである。而して当代は、宮廷文学の最高調に達していたのと、過房による神経衰弱の時代であっただけに、迷信も深かったので、源氏物語、栄花物語、大鏡等を始めとして、公卿の手に成れる家乗日記の類にも、巫覡に関する記事は相応に残されている。併しながら、それ等の記事は、悉く断片的なものであって、系統を立てた巫女史なり、呪術史なりは遂に見ることが出来ぬのである。「政事要略」に『蠱毒厭魅及巫覡等事』と題する一節があるが、その多くは賊盗律及び格令等の転載にしか過ぎぬ。而して鎌倉期に入っても、又これと同じで、「吾妻鏡」「沙石集」「古今著聞集」「古事談」等の三四の書籍に、巫覡の事がきれぎれに載せてあるだけで、纏ったものは残されていぬのである。 | ||
'''二 室町期に於ける巫女史学の概観''' | '''二 室町期に於ける巫女史学の概観''' |