日本巫女史/総論/第二章」を編集中

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史料の批判に就いて、第一の形式上に関しては、古文書学、考古学、民俗学等の補助学科の力を藉りることが必要であると同時に、第二の内容上に関しても、是等の学科の力に俟つべきは言うまでもないが、更に史学の原則に従うべきは勿論である。而して、筆者として、絶えず注意すべきことは、自己の欲する史料、若しくは自己の導かんとする結論に、好都合なる史料に対しては、格別の批判を加うべき点である。これは、ややともすると、史料に支配される結果に陥ることがあるからである。
史料の批判に就いて、第一の形式上に関しては、古文書学、考古学、民俗学等の補助学科の力を藉りることが必要であると同時に、第二の内容上に関しても、是等の学科の力に俟つべきは言うまでもないが、更に史学の原則に従うべきは勿論である。而して、筆者として、絶えず注意すべきことは、自己の欲する史料、若しくは自己の導かんとする結論に、好都合なる史料に対しては、格別の批判を加うべき点である。これは、ややともすると、史料に支配される結果に陥ることがあるからである。


更に、此の機会に、一言附記すべきことは、私が本史において蒐集使用した史料中に、雑誌の記事または学友からの報告が、多量に存している一事である。私としては出来るだけ斯かる史料に信頼せぬように心懸けていたのであるが、巫女史にあっては、前述の如く、殆んどその全部が秘密として社会から遠ざけられていた為に、これに関する記録や、遺物も、極めて尠く、明治以前にあっては、纏ったものとては、全く、眼にも、耳にも、入らぬ有様である。然るに、明治となって、巫女の呪術が禁止され、且つ巫女は概して<ruby><rb>下</rb><rp>(</rp><rt>さが</rt><rp>)</rp></ruby>り<ruby><rb>職</rb><rp>(</rp><rt>しょく</rt><rp>)</rp></ruby>として、社会から排斥されていたので、禁止と同時に、相率いて帰農するか、商売となるか、又は死亡するかして、漸くその事跡が堙滅に瀕するようになったのである。それが明治の終る頃から、恩師柳田国男先生の首唱で民俗学なるものが起り、従来、社会から疎却されていた賤業卑職の徒の消長に就いて好んで記録するようになり、此の学風は、大正に入って一段と隆盛を極め、専門の雑誌も三四を以て数うるようになり、且つ一般の国民を刺激して、此の種の事に留意させるようになったのである。かかる次第とて、私の企てた本史の史料が、雑誌に俟つことが多く、且つ此の種の事象に興味を持たるる学友(その多数が専門雑誌の寄稿者であって、然も郷土史の研究者として令名あり信用ある方々である)を煩わすこととなったのである。私は斯うしてまでも、今のうちに泯滅の途を急ぎつつある巫女の史料を記録に残すことが、我が民俗学にとっては、意義あるものと深く信じている。而して、斯くして蒐集した史料でも、その一々に就いて、厳重なる批判を加え、採るべきものは採り、棄つべきは棄てるに吝ならざりしことは勿論である。
更に、此の機会に、一言附記すべきことは、私が本史において蒐集使用した史料中に、雑誌の記事または学友からの報告が、多量に存している一事である。私としては出来るだけ斯かる史料に信頼せぬように心懸けていたのであるが、巫女史にあっては、前述の如く、殆んどその全部が秘密として社会から遠ざけられていた為に、これに関する記録や、遺物も、極めて尠く、明治以前にあっては、纏ったものとては、全く、眼にも、耳にも、入らぬ有様である。然るに、明治となって、巫女の呪術が禁止され、且つ巫女は概して<ruby><rb>下</rb><rp>(</rp><rt>サガ</rt><rp>)</rp></ruby>り<ruby><rb>職</rb><rp>(</rp><rt>ショク</rt><rp>)</rp></ruby>として、社会から排斥されていたので、禁止と同時に、相率いて帰農するか、商売となるか、又は死亡するかして、漸くその事跡が堙滅に瀕するようになったのである。それが明治の終る頃から、恩師柳田国男先生の首唱で民俗学なるものが起り、従来、社会から疎却されていた賤業卑職の徒の消長に就いて好んで記録するようになり、此の学風は、大正に入って一段と隆盛を極め、専門の雑誌も三四を以て数うるようになり、且つ一般の国民を刺激して、此の種の事に留意させるようになったのである。かかる次第とて、私の企てた本史の史料が、雑誌に俟つことが多く、且つ此の種の事象に興味を持たるる学友(その多数が専門雑誌の寄稿者であって、然も郷土史の研究者として令名あり信用ある方々である)を煩わすこととなったのである。私は斯うしてまでも、今のうちに泯滅の途を急ぎつつある巫女の史料を記録に残すことが、我が民俗学にとっては、意義あるものと深く信じている。而して、斯くして蒐集した史料でも、その一々に就いて、厳重なる批判を加え、採るべきものは採り、棄つべきは棄てるに吝ならざりしことは勿論である。


'''三 史料の整理とその解釈'''
'''三 史料の整理とその解釈'''
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