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日本巫女史が日本文化史の一文科である以上は、文化史の研究に必要なる幾多の補助学科の力に俟つべきは当然のことである。然らば巫女史には如何なる補助学科を必要とするかと云うに、これは文化史に必要とするものは悉く必要であると云うのが、尤も要領を得ているのであるが、併し物には軽重の差があり、濃淡の別があるものゆえ、総ての補助学科のうちでも、特に巫女史に深甚の関係を有しているもののみを挙げるとする。
日本巫女史が日本文化史の一文科である以上は、文化史の研究に必要なる幾多の補助学科の力に俟つべきは当然のことである。然らば巫女史には如何なる補助学科を必要とするかと云うに、これは文化史に必要とするものは悉く必要であると云うのが、尤も要領を得ているのであるが、併し物には軽重の差があり、濃淡の別があるものゆえ、総ての補助学科のうちでも、特に巫女史に深甚の関係を有しているもののみを挙げるとする。


第一 言語学
'''第一 言語学'''


言語学者の言うところによると、我国に曾て行われ、又は現に行われている言語には、四十余国の外来語が存していて、その重なるものとして、朝鮮語、アイヌ語、支那語、梵語、南洋語等を数えることが出来るとのことである。私は元より専門の言語学者でないから、果して我が国語中に是等多数の外来語が存しているか否かを批判すべき知識を有していないが、巫女史に関する言語だけでも、アイヌ語、朝鮮語、及び北方民族系の言語、支那語、梵語等の在ることだけは確実だと云えるのである。従って、巫女史の完全を期するには、これだけの言語学の補助を俟たねばならぬことは当然である。然るに、巫女史に出て来る国語なるものは、純粋なる我が国語にあっても、その多くが古代において行われた死語か、それでなければ巫女という特種の階級に用いられた術語であるために、一般の辞書だけでは明白にならぬものすらある。
言語学者の言うところによると、我国に曾て行われ、又は現に行われている言語には、四十余国の外来語が存していて、その重なるものとして、朝鮮語、アイヌ語、支那語、<ruby><rb>梵語</rb><rp>(</rp><rt>サンスクリット</rt><rp>)</rp></ruby>、南洋語等を数えることが出来るとのことである。私は元より専門の言語学者でないから、果して我が国語中に是等多数の外来語が存しているか否かを批判すべき知識を有していないが、巫女史に関する言語だけでも、アイヌ語、朝鮮語、及び北方民族系の言語、支那語、梵語等の在ることだけは確実だと云えるのである。従って、巫女史の完全を期するには、これだけの言語学の補助を俟たねばならぬことは当然である。然るに、巫女史に出て来る国語なるものは、純粋なる我が国語にあっても、その多くが古代において行われた死語か、それでなければ巫女という特種の階級に用いられた<ruby><rb>術語</rb><rp>(</rp><rt>テクニカル・ターム</rt><rp>)</rp></ruby>であるために、一般の辞書だけでは明白にならぬものすらある。


そこで私は、世上にも有り触れている「和名抄」、「伊呂波字類抄」、「下学集」や、更に「和訓栞」、「雅語集覧」、「俚諺集覧」、「物類称呼」等の辞書や、言語学関係の三四の書籍以外に、特種の方法を用いたのである。而して、その方法なるものは、朝鮮語及び北方民族系の言語は、曩に早稲田大学に留学していた朝鮮出身の洪赫純氏を煩わし、アイヌ語はジョン・バチェラー氏の「アイヌ辞典」の外に、幸い私はアイヌ語の権威である金田一京助氏の知遇を永く辱しているので、同氏著の「アイヌ研究」を始めとして、各種の雑誌で発表された諸論文を拝見し、それでも猶お十分でないと思った時は、親しく同氏に会って一々に就き面授を得た。支那語は上田万年松井簡治両氏著の「大日本国語辞典」及び白鳥庫吉金沢庄三郎外数氏の共著にかかる「外来語辞典」に依拠し、梵語は織田得能氏の「仏教大辞典」に遵い、及ばぬところは梵語専攻の学友である池田澄達氏の教えを仰いだ。而して国語中の方言に関しては、柳田国男先生の深遠なる高示を受け、古語に就いては、多年学恩を蒙っている古代民俗学及び古代語研究の天才である折口信夫氏の造詣を拝借することとした。更に内地の巫女の古い世相や制度を、そのまま克明に保存している琉球の祝女及びユタ等を知るためには、同地の出身で琉球語の最高権威である伊波普猷氏の恩誼を受けているので、関係書物の外に親しく同氏から高教に接したのである。
そこで私は、世上にも有り触れている「和名抄」、「伊呂波字類抄」、「下学集」や、更に「和訓栞」、「雅語集覧」、「俚諺集覧」、「物類称呼」等の辞書や、言語学関係の三四の書籍以外に、特種の方法を用いたのである。而して、その方法なるものは、朝鮮語及び北方民族系の言語は、曩に早稲田大学に留学していた朝鮮出身の洪赫純氏を煩わし、アイヌ語はジョン・バチェラー氏の「アイヌ辞典」の外に、幸い私はアイヌ語の権威である金田一京助氏の知遇を永く辱しているので、同氏著の「アイヌ研究」を始めとして、各種の雑誌で発表された諸論文を拝見し、それでも猶お十分でないと思った時は、親しく同氏に会って一々に就き面授を得た。支那語は上田万年松井簡治両氏著の「大日本国語辞典」及び白鳥庫吉金沢庄三郎外数氏の共著にかかる「外来語辞典」に依拠し、梵語は織田得能氏の「仏教大辞典」に遵い、及ばぬところは梵語専攻の学友である池田澄達氏の教えを仰いだ。而して国語中の方言に関しては、柳田国男先生の深遠なる高示を受け、古語に就いては、多年学恩を蒙っている古代民俗学及び古代語研究の天才である折口信夫氏の造詣を拝借することとした。更に内地の巫女の古い世相や制度を、そのまま克明に保存している琉球の<ruby><rb>祝女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>及びユタ等を知るためには、同地の出身で琉球語の最高権威である伊波普猷氏の恩誼を受けているので、関係書物の外に親しく同氏から高教に接したのである。


第二 古文書学
'''第二 古文書学'''


古文書学が、史学の根本史料を考覈する上に欠くべからざる補助学科であることは言うまでもないが、此の意味で巫女史にも深い交渉を有しているのである。全体、巫女の呪言とか作法とかに関する古文書は極めて尠いのである。これは巫女自身が概して無学であったのと、口伝を尚んでいたために、文書に認めることを避けた結果である。然るに、これに反して、巫女を取締った官憲の方面、及び巫女の奉仕した神社方面には、かなり多くの古文書が残されている。是等の一々に就いて、真偽を確め、文辞を解釈し、内容を検討するには、如何にしても古文書学の力に由らなければならぬのである。そこで私は久米邦武氏の「古文書学講義」を基調とし、更に星野恒氏の「古文書類纂」、黒坂勝美氏の「徴古文書」、瀧川政次郎氏の「法制史料古文書類纂」等を参考とし、自分の知識で解釈の出来ぬものに就いては、幸い瀧川政次郎氏の雅交を給っているので、一々同氏から高示を仰ぐとした。猶お此の機会に同じ巫女史の補助学科である歴史地理学、系譜学等に就いて言うべきであるが、これは左迄に取り立てて記すべきほどの事もないので、今は省略した。
古文書学が、史学の根本史料を考覈する上に欠くべからざる補助学科であることは言うまでもないが、此の意味で巫女史にも深い交渉を有しているのである。全体、巫女の呪言とか作法とかに関する古文書は極めて尠いのである。これは巫女自身が概して無学であったのと、口伝を尚んでいたために、文書に認めることを避けた結果である。然るに、これに反して、巫女を取締った官憲の方面、及び巫女の奉仕した神社方面には、かなり多くの古文書が残されている。是等の一々に就いて、真偽を確め、文辞を解釈し、内容を検討するには、如何にしても古文書学の力に由らなければならぬのである。そこで私は久米邦武氏の「古文書学講義」を基調とし、更に星野恒氏の「古文書類纂」、黒坂勝美氏の「徴古文書」、瀧川政次郎氏の「法制史料古文書類纂」等を参考とし、自分の知識で解釈の出来ぬものに就いては、幸い瀧川政次郎氏の雅交を給っているので、一々同氏から高示を仰ぐとした。猶お此の機会に同じ巫女史の補助学科である歴史地理学、系譜学等に就いて言うべきであるが、これは左迄に取り立てて記すべきほどの事もないので、今は省略した。


第三 考古学
'''第三 考古学'''


先年、上野国佐波郡赤堀村大字下触から、腰部に鈴鏡を提げた女子の埴輪土偶が発掘されたことがある。而して此の土偶は、上代の巫女なるべしというのが、学界の定説となった。単に此の一事だけでも巫女史の補助学科として考古学が重要なる位置を占めていることは明白であるが、更に巫女の有している呪具や装身具に就いては、考古学的の研究によって始めて開明されべきものであり、進んでは巫女の墓地、墓碑等も、又これによって学術上の価値が定まるのでる。私はこれに関しては「考古学雑誌」の各号において必要なる点を抄出し、更に単行本としては、古きは八木奘三郎氏の「日本考古学」、新しいのでは浜田耕作氏の「通論考古学」及び後藤守一氏の「日本考古学」等を参考し、更に高橋健自氏の「銅鉾銅剣の研究」を読んで稗益を受け、猶お不審の点に就いては、多年高橋健自氏の高示を仰いでいる関係から、同氏の面授に接したのである。終りに巫女史は、人類学とも交渉を有しているので、これの補助も俟たねばならぬのであるが、余りに煩瑣になるので、今は省筆する。
先年、上野国佐波郡赤堀村大字下触から、腰部に鈴鏡を<ruby><rb>提</rb><rp>(</rp><rt>さ</rt><rp>)</rp></ruby>げた女子の埴輪土偶が発掘されたことがある。而して此の土偶は、上代の巫女なるべしというのが、学界の定説となった。単に此の一事だけでも巫女史の補助学科として考古学が重要なる位置を占めていることは明白であるが、更に巫女の有している呪具や装身具に就いては、考古学的の研究によって始めて開明されべきものであり、進んでは巫女の墓地、墓碑等も、又これによって学術上の価値が定まるのでる。私はこれに関しては「考古学雑誌」の各号において必要なる点を抄出し、更に単行本としては、古きは八木奘三郎氏の「日本考古学」、新しいのでは浜田耕作氏の「通論考古学」及び後藤守一氏の「日本考古学」等を参考し、更に高橋健自氏の「銅鉾銅剣の研究」を読んで裨益を受け、猶お不審の点に就いては、多年高橋健自氏の高示を仰いでいる関係から、同氏の面授に接したのである。終りに巫女史は、人類学とも交渉を有しているので、これの補助も俟たねばならぬのであるが、余りに煩瑣になるので、今は省筆する。


第四 民俗学
'''第四 民俗学'''


風俗と慣習を基調として、文化の諸相を研究する民俗学が、巫女史の補助学科として優越なる地位を占めていることは言うまでもない。殊に私は、これが専攻を続けているのであるから、多少とも、その方面に就いては、特殊の考察と、材料とを有している積りであるが、ただ恐れるのは、余りに私の好むところに偏し、巫女民俗史になりはせぬかという点である。即ち補助学科が却って主なる巫女史学を煩わすような結果に陥ることなきを憂えているのである。併し、これに就いては、出来るだけ自制して、当初の目的を達したいと考えている。而してこれが参考書目に関しては、既に史料及び材料の項において盡しているので除筆した。
風俗と慣習を基調として、文化の諸相を研究する民俗学が、巫女史の補助学科として優越なる地位を占めていることは言うまでもない。殊に私は、これが専攻を続けているのであるから、多少とも、その方面に就いては、特殊の考察と、材料とを有している積りであるが、ただ恐れるのは、余りに私の好むところに偏し、巫女民俗史になりはせぬかという点である。即ち補助学科が却って主なる巫女史学を煩わすような結果に陥ることなきを憂えているのである。併し、これに就いては、出来るだけ自制して、当初の目的を達したいと考えている。而してこれが参考書目に関しては、既に史料及び材料の項において盡しているので除筆した。


第五 民間伝承学
'''第五 民間伝承学'''


これは従来「伝説」又は「口碑」という名でよばれていたもので、厳密なる学問上の分類から云えば、当然、民俗学の一文科として加うべきもであるが、今は記述の便宜のままに独立して取扱うとした。而して民間伝承学が、巫女史の補助学科として、如何なる点に交渉を有しているかというに、それは相当に広い方面に渉っているが、ここに一例を示すと、各地に小野ノ小町または和泉式部(是等は共に巫女を斯く称したので、その事由は本編に述べる)の化粧水という民間伝承が残っている。併しこれを巫女史の立場から見る時は、古く巫女が水を利用して、呪術を行うたことに、由来していることが判然するのである。従って民間伝承学は、巫女史に種々なる寄与をしているのである。而してこれに就いては、古いものでは「日本霊異記」、「今昔物語」、「古今著聞集」などを主なるものとし、新しいものでは故高木敏雄氏の「日本伝説集」、藤沢衛彦氏の「日本伝説叢書」を始め、佐々木喜善氏の「老媼夜譚」及び「炉辺叢書」中の数種を挙げることが出来る。
これは従来「伝説」又は「口碑」という名でよばれていたもので、厳密なる学問上の分類から云えば、当然、民俗学の一文科として加うべきものであるが、今は記述の便宜のままに独立して取扱うとした。而して民間伝承学が、巫女史の補助学科として、如何なる点に交渉を有しているかというに、それは相当に広い方面に渉っているが、ここに一例を示すと、各地に小野ノ小町または和泉式部(是等は共に巫女を斯く称したので、その事由は本編に述べる)の化粧水という民間伝承が残っている。併しこれを巫女史の立場から見る時は、古く巫女が水を利用して、呪術を行うたことに、由来していることが判然するのである。従って民間伝承学は、巫女史に種々なる寄与をしているのである。而してこれに就いては、古いものでは「日本霊異記」、「今昔物語」、「古今著聞集」などを主なるものとし、新しいものでは故高木敏雄氏の「日本伝説集」、藤沢衛彦氏の「日本伝説叢書」を始め、佐々木喜善氏の「老媼夜譚」及び「炉辺叢書」中の数種を挙げることが出来る。


[[Category:中山太郎]]
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2008年9月2日 (火) 04:16時点における版

日本巫女史

総論

第五章 巫女史の補助学科と其態度

日本巫女史が日本文化史の一文科である以上は、文化史の研究に必要なる幾多の補助学科の力に俟つべきは当然のことである。然らば巫女史には如何なる補助学科を必要とするかと云うに、これは文化史に必要とするものは悉く必要であると云うのが、尤も要領を得ているのであるが、併し物には軽重の差があり、濃淡の別があるものゆえ、総ての補助学科のうちでも、特に巫女史に深甚の関係を有しているもののみを挙げるとする。

第一 言語学

言語学者の言うところによると、我国に曾て行われ、又は現に行われている言語には、四十余国の外来語が存していて、その重なるものとして、朝鮮語、アイヌ語、支那語、梵語サンスクリット、南洋語等を数えることが出来るとのことである。私は元より専門の言語学者でないから、果して我が国語中に是等多数の外来語が存しているか否かを批判すべき知識を有していないが、巫女史に関する言語だけでも、アイヌ語、朝鮮語、及び北方民族系の言語、支那語、梵語等の在ることだけは確実だと云えるのである。従って、巫女史の完全を期するには、これだけの言語学の補助を俟たねばならぬことは当然である。然るに、巫女史に出て来る国語なるものは、純粋なる我が国語にあっても、その多くが古代において行われた死語か、それでなければ巫女という特種の階級に用いられた術語テクニカル・タームであるために、一般の辞書だけでは明白にならぬものすらある。

そこで私は、世上にも有り触れている「和名抄」、「伊呂波字類抄」、「下学集」や、更に「和訓栞」、「雅語集覧」、「俚諺集覧」、「物類称呼」等の辞書や、言語学関係の三四の書籍以外に、特種の方法を用いたのである。而して、その方法なるものは、朝鮮語及び北方民族系の言語は、曩に早稲田大学に留学していた朝鮮出身の洪赫純氏を煩わし、アイヌ語はジョン・バチェラー氏の「アイヌ辞典」の外に、幸い私はアイヌ語の権威である金田一京助氏の知遇を永く辱しているので、同氏著の「アイヌ研究」を始めとして、各種の雑誌で発表された諸論文を拝見し、それでも猶お十分でないと思った時は、親しく同氏に会って一々に就き面授を得た。支那語は上田万年松井簡治両氏著の「大日本国語辞典」及び白鳥庫吉金沢庄三郎外数氏の共著にかかる「外来語辞典」に依拠し、梵語は織田得能氏の「仏教大辞典」に遵い、及ばぬところは梵語専攻の学友である池田澄達氏の教えを仰いだ。而して国語中の方言に関しては、柳田国男先生の深遠なる高示を受け、古語に就いては、多年学恩を蒙っている古代民俗学及び古代語研究の天才である折口信夫氏の造詣を拝借することとした。更に内地の巫女の古い世相や制度を、そのまま克明に保存している琉球の祝女ノロ及びユタ等を知るためには、同地の出身で琉球語の最高権威である伊波普猷氏の恩誼を受けているので、関係書物の外に親しく同氏から高教に接したのである。

第二 古文書学

古文書学が、史学の根本史料を考覈する上に欠くべからざる補助学科であることは言うまでもないが、此の意味で巫女史にも深い交渉を有しているのである。全体、巫女の呪言とか作法とかに関する古文書は極めて尠いのである。これは巫女自身が概して無学であったのと、口伝を尚んでいたために、文書に認めることを避けた結果である。然るに、これに反して、巫女を取締った官憲の方面、及び巫女の奉仕した神社方面には、かなり多くの古文書が残されている。是等の一々に就いて、真偽を確め、文辞を解釈し、内容を検討するには、如何にしても古文書学の力に由らなければならぬのである。そこで私は久米邦武氏の「古文書学講義」を基調とし、更に星野恒氏の「古文書類纂」、黒坂勝美氏の「徴古文書」、瀧川政次郎氏の「法制史料古文書類纂」等を参考とし、自分の知識で解釈の出来ぬものに就いては、幸い瀧川政次郎氏の雅交を給っているので、一々同氏から高示を仰ぐとした。猶お此の機会に同じ巫女史の補助学科である歴史地理学、系譜学等に就いて言うべきであるが、これは左迄に取り立てて記すべきほどの事もないので、今は省略した。

第三 考古学

先年、上野国佐波郡赤堀村大字下触から、腰部に鈴鏡をげた女子の埴輪土偶が発掘されたことがある。而して此の土偶は、上代の巫女なるべしというのが、学界の定説となった。単に此の一事だけでも巫女史の補助学科として考古学が重要なる位置を占めていることは明白であるが、更に巫女の有している呪具や装身具に就いては、考古学的の研究によって始めて開明されべきものであり、進んでは巫女の墓地、墓碑等も、又これによって学術上の価値が定まるのでる。私はこれに関しては「考古学雑誌」の各号において必要なる点を抄出し、更に単行本としては、古きは八木奘三郎氏の「日本考古学」、新しいのでは浜田耕作氏の「通論考古学」及び後藤守一氏の「日本考古学」等を参考し、更に高橋健自氏の「銅鉾銅剣の研究」を読んで裨益を受け、猶お不審の点に就いては、多年高橋健自氏の高示を仰いでいる関係から、同氏の面授に接したのである。終りに巫女史は、人類学とも交渉を有しているので、これの補助も俟たねばならぬのであるが、余りに煩瑣になるので、今は省筆する。

第四 民俗学

風俗と慣習を基調として、文化の諸相を研究する民俗学が、巫女史の補助学科として優越なる地位を占めていることは言うまでもない。殊に私は、これが専攻を続けているのであるから、多少とも、その方面に就いては、特殊の考察と、材料とを有している積りであるが、ただ恐れるのは、余りに私の好むところに偏し、巫女民俗史になりはせぬかという点である。即ち補助学科が却って主なる巫女史学を煩わすような結果に陥ることなきを憂えているのである。併し、これに就いては、出来るだけ自制して、当初の目的を達したいと考えている。而してこれが参考書目に関しては、既に史料及び材料の項において盡しているので除筆した。

第五 民間伝承学

これは従来「伝説」又は「口碑」という名でよばれていたもので、厳密なる学問上の分類から云えば、当然、民俗学の一文科として加うべきものであるが、今は記述の便宜のままに独立して取扱うとした。而して民間伝承学が、巫女史の補助学科として、如何なる点に交渉を有しているかというに、それは相当に広い方面に渉っているが、ここに一例を示すと、各地に小野ノ小町または和泉式部(是等は共に巫女を斯く称したので、その事由は本編に述べる)の化粧水という民間伝承が残っている。併しこれを巫女史の立場から見る時は、古く巫女が水を利用して、呪術を行うたことに、由来していることが判然するのである。従って民間伝承学は、巫女史に種々なる寄与をしているのである。而してこれに就いては、古いものでは「日本霊異記」、「今昔物語」、「古今著聞集」などを主なるものとし、新しいものでは故高木敏雄氏の「日本伝説集」、藤沢衛彦氏の「日本伝説叢書」を始め、佐々木喜善氏の「老媼夜譚」及び「炉辺叢書」中の数種を挙げることが出来る。