「日本巫女史/総論/第四章/第三節」を編集中
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等の設問を発して、これが報告を煩した次第なのである。 | 等の設問を発して、これが報告を煩した次第なのである。 | ||
私の此の不躾なる質問に対し、微意のあるところを高諒されてか、多くの未見及び曾識の学友が、多忙の間を割いて詳細なる報告を寄せられたことは、私として寔に感謝に堪えぬ次第である。就中、磐城国石城郡上遠野村の上遠野小学校長佐坂通孝氏は、大正十五年の初夏五月というに、私のために三里余もある山路を二度までも巫女を訪ねて、貴重なる材料を恵与された。信州上田中学に在職中の角田千里氏は、同じく私のために数里を隔てた小県郡禰津村まで出張されて、委曲を盡した報告を二回まで恵投された。そして筑前国嘉穂郡宮野村の桑野辰夫氏は、数回に及んで巫女を尋ね、私としては到底手に入れることの出来ぬ有益なる材料を恵送された。私は唯々、感涙に唳ぶより外に御礼の言葉も無いのである。 | |||
併しながら、友情と学問とは、全然区別しなければならぬ。学友から寄せられた報告であっても、それが学術的で無いと信じたものは、断乎として排拒するに吝なるものではない。好意に反くの罪は大なるも、学問のためには代えられぬので、私としては材料を批判し、厳選するに就いて、充分の注意を払ったことは勿論である。此の点に関しては、遍えに学友各位の賢諒を冀う次第である。 | 併しながら、友情と学問とは、全然区別しなければならぬ。学友から寄せられた報告であっても、それが学術的で無いと信じたものは、断乎として排拒するに吝なるものではない。好意に反くの罪は大なるも、学問のためには代えられぬので、私としては材料を批判し、厳選するに就いて、充分の注意を払ったことは勿論である。此の点に関しては、遍えに学友各位の賢諒を冀う次第である。 | ||
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