「日本巫女史/総論/第四章/第四節」を編集中
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'''二 巫女の性的方面の慣習''' | '''二 巫女の性的方面の慣習''' | ||
巫女は神と結婚すべき約束があったので、人間である男子を夫とすることは許されていなかった。従って独身を原則とし、桂馬式(この事に就いては本文に詳述する)に、姪を以て相続させるのを慣習とする時代さえあった。ここに巫女の性的方面における幾多の民俗学的の慣習が生じたのである。而して神寵の衰えた巫女や、神戒に反いた巫女が堕落して、所謂巫娼なるものに変ったのは、彼等としては当然すぎるほどの帰結であらねばならぬ。殊に、若い女性が、減退した古い信仰を言い立てて、漂泊の旅を重ねているのであるから、男性の方から誘う水がなくとも、彼等の方から謎をかけなければならぬほどの、物質上または肉体上の要求があったかも知れぬ。僧無住の「沙石集」に、熊野巫女が山中で山伏に会うて不浄をなし、巫女は鼓を鼕々と打ち鳴らして「再びかゝる目に遇はせ給え」と神を念じたとある光景は、或は随所に行われた茶飯事に過ぎなかったであろう。平田篤胤翁が此の種の材料を蒐集して著した「古今妖魅考」などを読むと、私が斯ういうことの決して誇張でないことが知られるのである。巫女が「旅女郎」の俚称を負うたのも、強ち冤罪とばかりは言えぬのである。 | |||
'''三 社会の巫女に対する慣習''' | '''三 社会の巫女に対する慣習''' |