「月と不死」を編集中
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宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となっている。それで夫婦が同衾して夫が愛に包まれて片足を妻――月の体に投げた時、月の光は曇って月蝕が起り、妻が同じ様に夫に媚びた時に、日蝕が現われるものと、平良町では謂っている。因に、北米インディアン、トリンギト族も、同様に日蝕は妻の月が夫の太陽を訪ねたものと説いている。(The Mythology of all Races. Vol. X, North American, by Hartley Burr Alexander; p.277. Boston, 1916) | 宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となっている。それで夫婦が同衾して夫が愛に包まれて片足を妻――月の体に投げた時、月の光は曇って月蝕が起り、妻が同じ様に夫に媚びた時に、日蝕が現われるものと、平良町では謂っている。因に、北米インディアン、トリンギト族も、同様に日蝕は妻の月が夫の太陽を訪ねたものと説いている。(The Mythology of all Races. Vol. X, North American, by Hartley Burr Alexander; p.277. Boston, 1916) | ||
然しながら、日月蝕の解釈を言語に表したものとしては、宮古島民は「太陽を(ぞ)鬼が呑む、お月様を(ぞ)鬼が呑む」(tido; du unnu num; cïkśśːdu | 然しながら、日月蝕の解釈を言語に表したものとしては、宮古島民は「太陽を(ぞ)鬼が呑む、お月様を(ぞ)鬼が呑む」(tido; du unnu num; cïkśśːdu unnnu num)という説明文句を有している。これは前記のものと合わせて、日月蝕を或る怪物の嚥下した結果と説明する他の神話の存在したことを示しているので、この現象はアイヌ族及び馬来族の間にも見受けられる(金田一京助氏著「アイヌ聖典」、東京、一九二三、「<ruby><rb>大伝</rb><rp>(</rp><rt>ポロオイナ</rt><rp>)</rp></ruby>」九九‐一五〇頁)、(Skeat, Malay-Magic. p.11. London, 1900)。後者にあっては、この怪物は或は竜 rahu 或は犬 anjing と呼ばれ、日月を呑む竜の如き形を意味する rahu の考えは言葉と共に恐らく、馬来族がヒンズース族より伝え受けたものであろう(Skeat, loc. cit. 下段の註二、三)。 | ||
宮古群島の多良間島に伝わる伝説によれば、太古、妻――月の光は、夫――日の光よりはるかに強く明るいものであった。処が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡月に願ってみた。然し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫んで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしていたが、丁度、泥濘の中に落ちたので、前身汚れて了った。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかかった。泥の中でしきりに踠いている月の姿を見て、農夫は早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗った。それから、月は再び蒼穹へ上って、世界を照らそうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了った。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まっていて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはっきり見受けられる(多良間生れの徳山清定氏の談話による)。 | 宮古群島の多良間島に伝わる伝説によれば、太古、妻――月の光は、夫――日の光よりはるかに強く明るいものであった。処が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡月に願ってみた。然し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫んで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしていたが、丁度、泥濘の中に落ちたので、前身汚れて了った。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかかった。泥の中でしきりに踠いている月の姿を見て、農夫は早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗った。それから、月は再び蒼穹へ上って、世界を照らそうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了った。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まっていて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはっきり見受けられる(多良間生れの徳山清定氏の談話による)。 |