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日本巫女史/総論/第四章/第四節
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==第四節 巫女に関する慣習的材料== 巫女の慣習に関しては、これを三つに区別して見ることが出来る。(一)巫女自身に関すものと、(二)同じく巫女の性的方面のものと、(三)巫女に対する社会とのそれである。私は此の観点から、これに就いて記述する。 '''一 巫女自身に関する慣習''' 巫女は代々母子相続——即ち母系相続を以て原則とし、必らず血液の継承を基調としたのであるが、此の慣習は夙く泯びて、後には師匠・弟子の関係で相続するように変遷した。これには又、相当の社会的事情が存しているのであるが、それより更に考えて見なければならぬ問題は、古く巫女は晴眼者であったのが、中世からは盲女が多きを占めるようになり、殊に東北地方にあっては、巫女は盲女に限るという慣習を生んだことである。由来、感受性に富み、<ruby><rb>神経的</rb><rp>(</rp><rt>ヒステリカル</rt><rp>)</rp></ruby>な性情を多分に有している女性が、男性に比して霊媒者たる可能性を有っていることは言うまでもないが、それを盲女が好んで営むようになったのは、(一)盲人なるが故に、雑念を去り、精神を統一するに一段と都合が宜かったこと、(二)婦人——殊に盲女の職業が乏しかったこと、(三)師匠と云わるる者が、後継者として、幼き盲女を養子として迎えた(実際は人身売買的に買入れたのも多いらしい)ことなどが、此の慣習を根強くしたのと思われる。中世以降は、婦人の職業といえば、晴眼者なれば、売笑婦となるか、下婢となるか、その以外には無かったとも云えるのである。盲女にあっては、音楽が普及されず、按摩導引の道が開けていなかったので、こうした営みをするより外に致し方がなかったので、遂に是等の事情が歩み寄って此の慣習となったのである。 '''二 巫女の性的方面の慣習''' 巫女は神と結婚すべき約束があったので、人間である男子を夫とすることは許されていなかった。従って独身を原則とし、桂馬式(この事に就いては本文に詳述する)に、姪を以て相続させるのを慣習とする時代さえあった。ここに巫女の性的方面における幾多の民俗学的の慣習が生じたのである。而して神寵の衰えた巫女や、神戒に反いた巫女が堕落して、所謂巫娼なるものに変ったのは、彼等としては当然すぎるほどの帰結であらねばならぬ。殊に、若い女性が、減退した古い信仰を言い立てて、漂泊の旅を重ねているのであるから、男性の方から誘う水がなくとも、彼等の方から謎をかけなければならぬほどの、物質上または肉体上の要求があったかも知れぬ。僧無住の「沙石集」に、熊野巫女が山中で山伏に会うて不浄をなし、巫女は鼓を鼕々と打ち鳴らして「再びかかる目に遇はせ給え」と神を念じたとある光景は、或は随所に行われた茶飯事に過ぎなかったであろう。平田篤胤翁が此の種の材料を蒐集して著した「古今妖魅考」などを読むと、私が斯ういうことの決して誇張でないことが知られるのである。巫女が「旅女郎」の俚称を負うたのも、強ち冤罪とばかりは言えぬのである。 '''三 社会の巫女に対する慣習''' 巫女は一般社会から恐れられてはいたが、決して親しまれたり、愛せられたりしてはいなかった。而してその理由は三つ挙げる事が出来る。 第一は、巫女は神に仕えているために、自由に神を駆使するものとして、換言すれば、<ruby><rb>犬神</rb><rp>(</rp><rt>イヌガミ</rt><rp>)</rp></ruby>なり、<ruby><rb>管狐</rb><rp>(</rp><rt>クダキツネ</rt><rp>)</rp></ruby>(これ等の詳細は本文に述べる)なりを、思うがままに他人に依憑せしむることが出来るもの、更に換言すれば、巫蠱の厭魅を行うものとして恐れられた。 第二は漂泊者なる故を以て恐れられた。昔の世間は旅の者には油断をしなかった。何処の馬の骨だか知れぬと云う者に対しては、常に警戒と疑惑の眼で見るのであった。又実際に旅の者は何をするか知れたものではなかったのである。村民の多数の生命を奪うような悪疫も、概して旅の者が持込んだものである。平和な村人の心持を不安に陥れるような蜚語も、多くは旅の者が齎らしたものである。これでは田舎わたらいする巫女が恐れられたのも無理からぬことである。それでは巫女も漂泊をやめて、早く土着したら宜かろうというに、これには又そうさせぬ事情が潜んでいたのである。それは古い俚諺に「他国坊主に国侍」とあるように、霊界の仕事に従う者は、余りに素性が知れていたのでは有難味が薄い。ツイ二三年前まで<ruby><rb>青鼻汁</rb><rp>(</rp><rt>あおばな</rt><rp>)</rp></ruby>たらして子守りしていた少女が、僅かの修業で巫女になったというても、それでは世間の人が信頼してくれぬ。理窟では承認しても感情が許容せぬ。少しく比喩が大き過ぎて、鰯の譬に鯨を出すようであるが、予言者が故郷に容れられぬのも、此の理由に過ぎぬのである。而して此の理由は巫女の身の上にも移して言うことが出来るので、彼等が他国人として嫌われ、漂泊者として<ruby><rb>疎</rb><rp>(</rp><rt>うとま</rt><rp>)</rp></ruby>れながらも、猶その生活を続けて来た所以である。 第三の理由は、巫女は病毒の伝播者たる故であった。即ち悪種の性病の持主として恐れられたのである。出雲の巫女お国に関係した結城秀康が、狂死したという史実が雄弁に総てを物語っている。古川柳に「竹笠を被り×××を寄せるなり」とあるのは、巫女の性的方面を喝破したものである。 以上の三つの理由を主たるものとし、これに幾多の従たる理由が加って、遂に巫女を趁うて特種階級の賤民とまで沈落させたのである。猶お巫女の慣習に就いては、民俗学的に記すべき問題が残されているが、それは本文において機会のある毎に述べるとして今は省筆する。 [[Category:中山太郎]]
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