「
春来る鬼
」を編集中 (節単位)
ナビゲーションに移動
検索に移動
警告:
ログインしていません。編集を行うと、あなたの IP アドレスが公開されます。
ログイン
または
アカウントを作成
すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、その他の利点もあります。
スパム攻撃防止用のチェックです。 けっして、ここには、値の入力は
しない
でください!
==遠来の神== この海から来る神の信仰は、至る所に行われていますが、変っているのは、伊豆七島、殆、全般に行われている所の、悪い事をして殺された者が、盆に出て来て、海岸の村を脅やかす、という信仰であります。此は、既に藤木喜久麿さんの報告もありました。村人の考えでは、うら盆や、又は大晦日の晩に、海に出る船幽霊と同性質を持っているのです。 これとなもみたくりとの間には、段々の過程がありますが、話を少し形の変ったものにしてみると、台湾の首狩りの風習ですが、この事柄も、結局は、まれ人を神に祭る風習から起っているらしく、他処から来る神をこしらえる風習らしいのです。その風習の印象が、台湾に残っていて、段々衰えたのは、清朝の役人が、この風習を止めさせるために、自分自ら殺されてしまって、その人が祭られるようになった、と言っています。これは、遠い所から来る神を祭る信仰であって、stranger が神そのものである、という事を忘れて、首を切ったのであります。日本で申しても、名古屋辺りにも、祭りに、旅人を捕えていじめる風習が処々残っています様に、こんなにまで変化していますが、それは、先ず預っておいて、例えば、もっと古い所を考えても、信濃国安曇郡は、海人の出た所で、少くとも、海部の民の開いた土地に違いなく、でないまでも、海部のもっている信仰を、持って来た人の、開いた土地なのです。それは、北陸の海から、おそらく、姫川を溯って這入って来たものと思われますが、即、海から山へ這入って来ているのです。これは、神の資格が定まる、というような考えから出るのです。一方では、山から海へ帰る、という様な考えを抱いて来ます。信州の話では、歴史と民間の信仰とが一緒になっていますが、地方によれば、山から海へ戻って行った、という事になっているのもあります。その外、平地の行事が終ると、山へ入るとも考えたのです。山の神と田の神とは、時期によって交代します。それで、冬は——秋の末から春の初めの間——山へ登って行き、その他の時期は、里へ下って、河童になっている、と考えたのです。山と海とを、こんな風に考えるのは、古い信仰の名残りなのです。 話が、飛び飛びになりましたが、沖縄では、終始、おとおしという事を申します。とおすというのは、通拝する事であって、この土地から向うへかけておがむ、という事なのでしょう。その通拝所の著しいのは、海岸であって、大きな霊地では、海岸に島があって、其処から神が来る、と考えたのです。島のない所では、岬を考えています。沖縄の国頭郡の今帰仁という所にも、海中に島があり、其処を遥拝するのを、大事の一つとして居ます。或は、先島列島にも、これが多く、離れ島——或土地のものだと考えている——を、はなれといいます。はなれというものには、終始、この遥拝の信仰が伴っていて、稀には、其処に兇悪な鬼の様なもの、又、すぐれた者がいて、島を苦しめた、という事もあります。島の無い所では、これにあたるのは岬ですが、沖縄本島で一番大事な所は、北——やまと——の方を向いた所であって、神が北(多くの場合は東、又稀には西)から来ると考えました。あがりの大主は、東方の主神、という事です。これが一転して、北から stranger が来る、とも考えられて来たのです。沖縄人は、北が口で南が尾、と考え、国頭・中頭・島尻、という順に考えています。そして、北をやまと、と考えていました。ここでは、国頭の辺土の岬が遥拝所であって、宮廷の大祭のある時には、辺土の岬に、涼傘という傘が立ちます。この下に神がいる、という意味らしいのです。日本ならきぬ笠の様なもので、傘が何本も立つという事になりますが、辺土の御嶽——神のおりる所がうたきである——に涼傘が立って、祭りが始まり、其処を神が初めて足溜りとして来るのです。久高島という島は、首里から平地が一里海が三里の島ですが、知念は久高島の遥拝所になっていまして、我が国に於ける伊勢の斎宮にあたる首里王家の、現今でも、聞得大君御殿が——初めて聞得大君になった最初の年の春——斎場御嶽という霊地へ行き、それから久高島へ参り、又斎場へ帰ってそれから又首里へもどって、聞得大君御殿に入り、初めて聞得大君の資格を得るのであります。おあらふりと言うのは、日本の語で言えば、新あもりであって、これは順序が逆で、海の向うから出て首里へ這入るので、実は、弁御嶽に鎮まる形になるのでしょう。そして、聞得大君御殿におさまってしまいます。処がその形がみだれたのは、首里を出て久高へ行く行事が大事なものだから、それだけが重くなって、帰りの行事が簡単になったのです。外に、村々の神女(君々、祝々)が神となって現われるのもあり、あらふりといって、海岸或は海の中に現われたりする事もあるのです。 そういう風に、海から出て来る神は、まず海岸の一所——けたという語を用いたいと思います——けたへ飛び上り、そのけたから陸に上るのですが、けたが延長されて、その陸地がけたになり、其処から、更に山にのぼって行くのです。もっと古い形を考えてみますと、海から海岸の村々へ出て来ることだけですむのです。その時に、村の家々を訪問する形もあろうし、村人を一个所に集めて、村人に接する事もありましょう、総て一様ではありますまい。が、近代の我々の村々では、家々が同格でありますが、古くは小さい家が認められず、大きな家一軒へ行けば全部へ行ったと同じことだったのです。が、これがくずれて戸別に行く様になったのです。
編集内容の要約:
Docsへの投稿はすべて、他の投稿者によって編集、変更、除去される場合があります。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。
また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください(詳細は
Docs:著作権
を参照)。
著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください!
このページを編集するには、下記の確認用の質問に回答してください (
詳細
):
いちたすには?
キャンセル
編集の仕方
(新しいウィンドウで開きます)
案内メニュー
個人用ツール
ログインしていません
トーク
投稿記録
アカウント作成
ログイン
名前空間
ページ
議論
日本語
表示
閲覧
編集
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
談話室
ページ一覧
最近の更新
ヘルプ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報