「トーク:日本巫女史/第三篇/第二章/第三節」の版間の差分

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* 底本 p.714
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** 島崎藤村の「破戒」は、禰津村に起った事件を描いたもの: そのアイディアは柳田国男が提供したものかも知れない。藤村の有名な「流れよる椰子の実一つ」の詞は、元々柳田国男が彼に語ったところから着想したものであるという。(『海上の道』参照)--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年11月4日 (火) 09:02 (JST)
** 『島崎藤村の「破戒」は、禰津村に起った事件を描いたもの』: 「海上の道」によると、藤村の有名な「流れよる椰子の実一つ」の詞は、元々柳田国男が彼に語ったところから着想したものであったという。単なる憶測でしかないが、禰津村を藤村に語ったのもまた柳田であったかも知れない。--[[利用者:たちゃな|たちゃな]] 2008年11月4日 (火) 09:02 (JST)

2009年4月22日 (水) 22:43時点における最新版

修正箇所[編集]

  • 底本 p.712
    • 「一升まであった〔四〕。」→「一升まであった〔四〕。」

未修正箇所[編集]

メモ[編集]

  • 底本 p.714
    • 『島崎藤村の「破戒」は、禰津村に起った事件を描いたもの』: 「海上の道」によると、藤村の有名な「流れよる椰子の実一つ」の詞は、元々柳田国男が彼に語ったところから着想したものであったという。単なる憶測でしかないが、禰津村を藤村に語ったのもまた柳田であったかも知れない。--たちゃな 2008年11月4日 (火) 09:02 (JST)