トーク:日本巫女史/第一篇/第三章/第二節
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修正箇所
- 「祝詞であると云えるようでもあるし」直後の句点を読点に改めた。--たちゃな 2008年9月3日 (水) 02:42 (JST)
- 「広瀬大忌祭」の前にある句点を読点に改めた。--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)
- 谷川士清翁の引用部分に中山の本文(「谷川士清翁は、ウケヒの意義に就いて、」)が含まれている箇所があるのを修正。--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)
未修正箇所
- 変若水の出典は『先代旧事本紀』にあると書いた割りに、『先代旧事本紀』では見当たらなかったため、確認を求む。
- 折口信夫『若水の話』にも該当記事を見つかれず。
- 「遂困苦間,伏地而死。」、国史大系『日本書紀』では「遂因苦問,伏地而死。」であるが、単なる異本間の差異かも知れぬ。
- 「收縛其子守石與'中瀬氷」、国史大系『日本書紀』では「廷尉收縛其子守石與中瀬氷〈守石。名瀬氷。皆名也。〉」であって、新全集『日本書紀』では「廷尉收縛其子守石與名瀬氷〈守石。名瀬氷。皆名也。〉」と改す。--浦木裕 2008年9月9日 (火) 17:52 (JST)
メモ
- 「都路乎 遠哉妹之 比来者 得飼飯而雖宿 夢尓不所見来」(万葉集 4-767)--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)
- 「於余頭礼可 吾聞都流 <狂>言加 我間都流母」(万葉集 3-420)--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)
- 「多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多<波>許登等可毛」(万葉集 17-3957)--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)
- 「オヨヅレ」は、他に万葉集 3-421, 475, 7-1408, 19-4214 にも出現する。--たちゃな 2008年8月22日 (金) 02:34 (JST)