日本巫女史/第一篇/第三章/第二節」を編集中

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==第二節 祝詞の呪術的分子と呪言の種類==
==第二節 祝詞の呪術的分子と呪言の種類==


我国の祝詞(延喜式に載せたもの及び台記の別記にある寿辞を含めて)なるものが、その本質的に呪文としての思想が多分に盛られていることは、深い説明の要はあるまいと思う。一二を言えば、新年祭に、御年ノ神に『白き馬、白き猪、白き雞』を備えたことは、即ち古き呪術が祝詞に残ったものである。朝廷で、白き猪の捕れぬままに、祈年祭を延期した例は幾度もある。後には白き猪が如何にするも捕れぬので、普通の猪を白く染めて祭儀を挙げたことすらある〔一〕。是等は呪術の一種であるが、それを称えることは直ちに呪文と云うことが出来るのである。出雲国造神賀詞に、
我国の祝詞(延喜式に載せたもの及び台記の別記にある寿辞を含めて)なるものが、その品質的に呪文としての思想が多分に盛られていることは、深い説明の要はあるまいと思う。一二を言えば、新年祭に、御年ノ神に『白き馬、白き猪、白き雞』を備えたことは、即ち古き呪術が祝詞に残ったものである。朝廷で、白き猪の捕れぬままに、新年祭を延期した例は幾度もある。後には白き猪が如何にするも捕れぬので、普通の猪を白く染めて祭儀を挙げたことすらある〔一〕。是等は呪術の一種であるが、それを称えることは直ちに呪文と云うことが出来るのである。出雲国造神賀詞に、


: 白鵠の生御調の玩物と、倭文の大御心もすべむに、彼方の古川岸、此方の古川岸に生立てる、若水沼の間弥若えに御若え坐し、濯ぎ振りさく淀みの水の、弥<u>をち</u>に御<u>をち</u>まし。
: 白鵠の生御調の玩物と、倭文の大御心もすべむに、彼方の古川岸、此方の古川岸に生立てる、若水沼の間弥若えに御若え坐し、濯ぎ振りさく淀みの水の、弥<u>をち</u>に御<u>をち</u>まし。
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