日本巫女史/第一篇/第八章/第一節」を編集中

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: (原註)但、太兆の卜事を行ふ人を云と云はれたるは当らず、神祇の情状を古伝に徴し、古説に合せて悟り得る偉人を云ふなり。卜事は其思慮の至り及ばざるに当て物<ruby><rb>為</rb><rp>(</rp><rt>ス</rt><rp>)</rp></ruby>るなれば却て未なり云々。(以上。皇学館本。但し句読点は私に加えたのである。)
: (原註)但、太兆の卜事を行ふ人を云と云はれたるは当らず、神祇の情状を古伝に徴し、古説に合せて悟り得る偉人を云ふなり。卜事は其思慮の至り及ばざるに当て物<ruby><rb>為</rb><rp>(</rp><rt>ス</rt><rp>)</rp></ruby>るなれば却て未なり云々。(以上。皇学館本。但し句読点は私に加えたのである。)


我が古代における「物」とは、即ち神または霊ということであって、物ノ部とは是等の神または霊に通ずる<ruby><rb>母能々布</rb><rp>(</rp><rt>モノノフ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>部曲</rb><rp>(</rp><rt>カキベ</rt><rp>)</rp></ruby>を指し、物ノ部氏とは此の部曲の宗家、または<ruby><rb>氏</rb><rp>(</rp><rt>ウヂ</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>上</rb><rp>(</rp><rt>カミ</rt><rp>)</rp></ruby>という意味になるのである〔三〕。而してこれを基調として古代の戦争を考えると、古語の戦い(たたかひ)は、敲き合いの転訛であるが、更に古語で言い争うことを「口たたく」というのがあるところから推すと、腕力を以て敲き合いする以前に、言語を以て口たたかいをするのが、戦いの式例となっていたことが想われる。これは恰も、後世の戦場において、先ず甲乙の両陣から、代表的の勇者が出て、一騎打ちの勝負をしてから、合戦が開かれたのと同じように、<ruby><rb>言霊</rb><rp>(</rp><rt>コトダマ</rt><rp>)</rp></ruby>の神の殊寵を蒙り、特に利口弁舌に長じた者(即ち物知り人)が現われて、互いに「言葉たたかい」をした後に、愈々両方の敲き合いに入る順序と見られるのである。而して此の「言葉たたかい」の任務に当るものが即ち巫女であって、然もその言語は必ずや呪術的の要素を多分に有していたものに相違ない。前に引用した琉球の俚諺に「女は戦の魁」とある如く、我国にあっても、巫女の宗源とも見るべき天鈿女神は、常に陣頭に立つことを伝えているのである。
我が古代における「物」とは、即ち神または霊ということであって、物ノ部とは是等の神または霊に通ずる<ruby><rb>母能々布</rb><rp>(</rp><rt>モノノフ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>部曲</rb><rp>(</rp><rt>カキベ</rt><rp>)</rp></ruby>を指し、物ノ部氏とは此の部曲の宗家、または<ruby><rb>氏</rb><rp>(</rp><rt>ウヂ</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>上</rb><rp>(</rp><rt>カミ</rt><rp>)</rp></ruby>という意味になるのである〔三〕。而してこれを基調として古代の戦争を考えると、古語の戦い(たゝかひ)は、敲き合いの転訛であるが、更に古語で言い争うことを「口たたく」というのがあるところから推すと、腕力を以て敲き合いする以前に、言語を以て口たたかいをするのが、戦いの式例となっていたことが想われる。これは恰も、後世の戦場において、先ず甲乙の両陣から、代表的の勇者が出て、一騎打ちの勝負をしてから、合戦が開かれたのと同じように、<ruby><rb>言霊</rb><rp>(</rp><rt>コトダマ</rt><rp>)</rp></ruby>の神の殊寵を蒙り、特に利口弁舌に長じた者(即ち物知り人)が現われて、互いに「言葉たたかい」をした後に、愈々両方の敲き合いに入る順序と見られるのである。而して此の「言葉たたかい」の任務に当るものが即ち巫女であって、然もその言語は必ずや呪術的の要素を多分に有していたものに相違ない。前に引用した琉球の俚諺に「女は戦の魁」とある如く、我国にあっても、巫女の宗源とも見るべき天鈿女神は、常に陣頭に立つことを伝えているのである。


而してそれと是れとは、大に趣きを異にしているが、思い出すままに記すことは、私の郷国である下野国河内郡地方の村落では、明治初年まで、婚姻の夜に、新婦の附添いとして、弁舌に馴れた婦人一名が、嫁の行列の先頭に立って、新郎の家に赴く。新郎の方でも、同じく口達者の男二名を家前に立たせて新婦を迎えさせるが、その時に先ず聟方の男から「大勢して一体<ruby><rb>何処</rb><rp>(</rp><rt>ドコ</rt><rp>)</rp></ruby>から<ruby><rb>遣</rb><rp>(</rp><rt>ヤ</rt><rp>)</rp></ruby>って来た」と問いかけると、嫁の附添い女は直ちに「若い者に花を遣ろうと思って来た」と答えるのを序開きとして、ここに猛烈なる言葉たたかいの場面が展開され、聟方の男はあるかぎりの奇智を絞って、無理難題の問いを発し、これに対して、嫁方の女も精根を尽して巧妙に言いぬける。若し此の「言葉たたかい」に、嫁方の女が負けるようなことがあれば、新婦の一行は実家へ引き帰さなければならぬ村掟となっているので、附添い女の責任の大と、舌力の強さとが思われる。こうした一幕が無事に済むと、今度は婚礼の式に入るのである。
而してそれと是れとは、大に趣きを異にしているが、思い出すままに記すことは、私の郷国である下野国河内郡地方の村落では、明治初年まで、婚姻の夜に、新婦の附添いとして、弁舌に馴れた婦人一名が、嫁の行列の先頭に立って、新郎の家に赴く。新郎の方でも、同じく口達者の男二名を家前に立たせて新婦を迎えさせるが、その時に先ず聟方の男から「大勢して一体<ruby><rb>何処</rb><rp>(</rp><rt>ドコ</rt><rp>)</rp></ruby>から<ruby><rb>遣</rb><rp>(</rp><rt>ヤ</rt><rp>)</rp></ruby>って来た」と問いかけると、嫁の附添い女は直ちに「若い者に花を遣ろうと思って来た」と答えるのを序開きとして、ここに猛烈なる言葉たたかいの場面が展開され、聟方の男はあるかぎりの奇智を絞って、無理難題の問いを発し、これに対して、嫁方の女も精根を尽して巧妙に言いぬける。若し此の「言葉たたかい」に、嫁方の女が負けるようなことがあれば、新婦の一行は実家へ引き帰さなければならぬ村掟となっているので、附添い女の責任の大と、舌力の強さとが思われる。こうした一幕が無事に済むと、今度は婚礼の式に入るのである。
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