日本巫女史/第一篇/第八章/第一節」を編集中

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: 尚真王の時、八重山征伐のあったことは、百浦添欄干之銘にも見えているが、「女官御双紙」に、この時久米島の<ruby><rb>君南風</rb><rp>(</rp><rt>キミハエ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰、同地ノロの名で、内地の巫女と同じ)が従軍して功を立てたことが書いてある。
: 尚真王の時、八重山征伐のあったことは、百浦添欄干之銘にも見えているが、「女官御双紙」に、この時久米島の<ruby><rb>君南風</rb><rp>(</rp><rt>キミハエ</rt><rp>)</rp></ruby>(中山曰、同地ノロの名で、内地の巫女と同じ)が従軍して功を立てたことが書いてある。
:: 琉球より申の方に当りて御ちさやうの島あり、島名をば八重山島といふ。本は帝王(中山曰。琉球王)に従ひけるが、心かはりしつるに因りて、弘治十三庚申の年討手を御遣し給ふ。その時首里の御神託言はせ給ひけるは、久米島の君南風わたり給はば、彼島の神もなびきなん。神なびきなば、人はおのずから降参すべしとのたまふ。君南風承りて、彼島にわたり給へば、数多の人いくさの支度をして出むかふによりて、陸へよるべきやうもなかりけり。其時筏を浮べ、其上に炬を多くつむ(中略)。彼島の<ruby><rb>君真物</rb><rp>(</rp><rt>キムマモノ</rt><rp>)</rp></ruby>(原註。島の守護神)君南風へ迎ひなびき給ふによりて、人は自ら降参す云々。
:: 琉球より申の方に当りて御ちさやうの島あり、島名をば八重山島といふ。本は帝王(中山曰。琉球王)に従ひけるが、心かはりしつるに因りて、弘治十三庚申の年討手を御遣し給ふ。その時首里の御神託言はせ給ひけるは、久米島の君南風わたり給はゞ、彼島の神もなびきなん。神なびきなば、人はおのずから降参すべしとのたまふ。君南風承りて、彼島にわたり給へば、数多の人いくさの支度をして出むかふによりて、陸へよるべきやうもなかりけり。其時筏を浮べ、其上に炬を多くつむ(中略)。彼島の<ruby><rb>君真物</rb><rp>(</rp><rt>キムマモノ</rt><rp>)</rp></ruby>(原註。島の守護神)君南風へ迎ひなびき給ふによりて、人は自ら降参す云々。
: 当時の人はこの時戦争に勝ったのは、君南風の祈祷が与って力があると信じていた。
: 当時の人はこの時戦争に勝ったのは、君南風の祈祷が与って力があると信じていた。
: 実際船艦中の大ころ<ruby><rb>等</rb><rp>(</rp><rt>タ</rt><rp>)</rp></ruby>、もりやえ子<ruby><rb>等</rb><rp>(</rp><rt>タ</rt><rp>)</rp></ruby>はこの女傑のオタカベ(原註。祝詞)に鼓舞されたのであろう云々。
: 実際船艦中の大ころ<ruby><rb>等</rb><rp>(</rp><rt>タ</rt><rp>)</rp></ruby>、もりやえ子<ruby><rb>等</rb><rp>(</rp><rt>タ</rt><rp>)</rp></ruby>はこの女傑のオタカベ(原註。祝詞)に鼓舞されたのであろう云々。
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