日本巫女史/第一篇/第八章/第二節」を編集中

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「万葉集」を読むと、狩猟に女性を伴った歌が散見する。例えば左の如きものがそれである。
「万葉集」を読むと、狩猟に女性を伴った歌が散見する。例えば左の如きものがそれである。


: 足引の<ruby><rb>山海石榴</rb><rp>(</rp><rt>ヤマツバキ</rt><rp>)</rp></ruby>咲く<ruby><rb>畳峰</rb><rp>(</rp><rt>ヤツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>越え<ruby><rb>鹿</rb><rp>(</rp><rt>シシ</rt><rp>)</rp></ruby>待つ君が<ruby><rb>斎</rb><rp>(</rp><rt>イハ</rt><rp>)</rp></ruby>ひ妻かも(巻七)。
: 足引の<ruby><rb>山海石榴</rb><rp>(</rp><rt>ヤマツバキ</rt><rp>)</rp></ruby>咲く<ruby><rb>畳峰</rb><rp>(</rp><rt>ヤツヲ</rt><rp>)</rp></ruby>越え<ruby><rb>鹿</rb><rp>(</rp><rt>シヽ</rt><rp>)</rp></ruby>待つ君が<ruby><rb>斎</rb><rp>(</rp><rt>イハ</rt><rp>)</rp></ruby>ひ妻かも(巻七)。
: 江林に<ruby><rb>猪鹿</rb><rp>(</rp><rt>シシ</rt><rp>)</rp></ruby>やも求むるに能き白妙の袖まきあげて<ruby><rb>猪鹿</rb><rp>(</rp><rt>シシ</rt><rp>)</rp></ruby>待つ我が夫(同上。凱旋歌)。
: 江林に<ruby><rb>猪鹿</rb><rp>(</rp><rt>シヽ</rt><rp>)</rp></ruby>やも求むるに能き白妙の袖まきあげて<ruby><rb>猪鹿</rb><rp>(</rp><rt>シヽ</rt><rp>)</rp></ruby>待つ我が夫(同上。凱旋歌)。
: 足柄の<ruby><rb>彼面</rb><rp>(</rp><rt>ヲモテ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>此面</rb><rp>(</rp><rt>コノモ</rt><rp>)</rp></ruby>にさす<ruby><rb>羂</rb><rp>(</rp><rt>ワナ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>喧鳴</rb><rp>(</rp><rt>カナ</rt><rp>)</rp></ruby>る問静み児等吾紐解く(巻十四)。
: 足柄の<ruby><rb>彼面</rb><rp>(</rp><rt>ヲモテ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>此面</rb><rp>(</rp><rt>コノモ</rt><rp>)</rp></ruby>にさす<ruby><rb>羂</rb><rp>(</rp><rt>ワナ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>喧鳴</rb><rp>(</rp><rt>カナ</rt><rp>)</rp></ruby>る問静み児等吾紐解く(巻十四)。


此の第一の短歌の鹿待つ君が斎ひ妻に就いては、異説があって、今に定説を見ぬのであるが、併し単に愛するだけの妻の意ならば、斎うとは言うまいと想われるので、これには何か鹿を取る猟人の間に妻を斎う——恰も琉球の<ruby><rb>山原</rb><rp>(</rp><rt>ヤンバル</rt><rp>)</rp></ruby>地方で女を男が拝むというような、呪術的の信仰が存していたのではないかと考えられる。そしてそれが古い時代の狩猟に巫女が参与した伝統を残したものと想われぬでもない。更に想像すれば、<ruby><rb>太占</rb><rp>(</rp><rt>フトマニ</rt><rp>)</rp></ruby>に鹿の肩骨を用いたり、山鳥の尾ろの初穂に鏡をかけたり、片巫が<ruby><rb>巫鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトド</rt><rp>)</rp></ruby>の骨を焼いて神意を問うたりしたことは、古く遠く巫女が狩猟に交渉を有していた時代に発明した呪法であるとも言えるようである。猶お漁撈と巫女との関係は、やや明瞭であって、左迄に考究すべき必要が無いし、それに巫女と製紙の関係を説くと、余りに本節が長くなるので省略した。
此の第一の短歌の鹿待つ君が斎ひ妻に就いては、異説があって、今に定説を見ぬのであるが、併し単に愛するだけの妻の意ならば、斎うとは言うまいと想われるので、これには何か鹿を取る猟人の間に妻を斎う——恰も琉球の<ruby><rb>山原</rb><rp>(</rp><rt>ヤンバル</rt><rp>)</rp></ruby>地方で女を男が拝むというような、呪術的の信仰が存していたのではないかと考えられる。そしてそれが古い時代の狩猟に巫女が参与した伝統を残したものと想われぬでもない。更に想像すれば、<ruby><rb>太占</rb><rp>(</rp><rt>フトマニ</rt><rp>)</rp></ruby>に鹿の肩骨を用いたり、山鳥の尾ろの初穂に鏡をかけたり、片巫が<ruby><rb>巫鳥</rb><rp>(</rp><rt>シトヾ</rt><rp>)</rp></ruby>の骨を焼いて神意を問うたりしたことは、古く遠く巫女が狩猟に交渉を有していた時代に発明した呪法であるとも言えるようである。猶お漁撈と巫女との関係は、やや明瞭であって、左迄に考究すべき必要が無いし、それに巫女と製紙の関係を説くと、余りに本節が長くなるので省略した。


狩猟の良好を神に祈るために巫女が舞い、更に豊富の結果を得たので、神に報賽するために、巫女が踊ったものの中から、後世まで伝った動物に扮する舞踊の幾つかを指摘することが出来るようである。而して動物に扮する舞踊の<ruby><rb>動機</rb><rp>(</rp><rt>モチーフ</rt><rp>)</rp></ruby>が、動物の習性や所作を模倣したことに由るのは勿論である。琉球の国頭郡大宜味村で、毎年旧七月二十日後の亥の日に行うウンガミ祭に、神アシアゲの左端に各瓜で拵えた猪を据え、右端に槍や弓を立てて置き、<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>や神人が前後四回までオモロ(神歌)を謡いつつ神踊りをなし、猪を取る真似をして儀式を終るのは〔一〇〕、巫女が神へ対して斯くの如く好猟のあるようにと祈る形式だとも考えられるし、更に「山城風土記」逸文の賀茂社の一節に『仍撰四月吉日祀、馬係鈴人蒙猪頭而駈馳、以為祭祀』とあるのは、古く賀茂神が狩猟神としての一面を有していたことを想わせると同時に、動物に扮する舞踊の在ったことを偲ばせる手掛りになる。
狩猟の良好を神に祈るために巫女が舞い、更に豊富の結果を得たので、神に報賽するために、巫女が踊ったものの中から、後世まで伝った動物に扮する舞踊の幾つかを指摘することが出来るようである。而して動物に扮する舞踊の<ruby><rb>動機</rb><rp>(</rp><rt>モチーフ</rt><rp>)</rp></ruby>が、動物の習性や所作を模倣したことに由るのは勿論である。琉球の国頭郡大宜味村で、毎年旧七月二十日後の亥の日に行うウンガミ祭に、神アシアゲの左端に各瓜で拵えた猪を据え、右端に槍や弓を立てて置き、<ruby><rb>巫女</rb><rp>(</rp><rt>ノロ</rt><rp>)</rp></ruby>や神人が前後四回までオモロ(神歌)を謡いつつ神踊りをなし、猪を取る真似をして儀式を終るのは〔一〇〕、巫女が神へ対して斯くの如く好猟のあるようにと祈る形式だとも考えられるし、更に「山城風土記」逸文の賀茂社の一節に『仍撰四月吉日祀、馬係鈴人蒙猪頭而駈馳、以為祭祀』とあるのは、古く賀茂神が狩猟神としての一面を有していたことを想わせると同時に、動物に扮する舞踊の在ったことを偲ばせる手掛りになる。
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