日本巫女史/総論/第一章/第二節」を編集中

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巫女史が、巫女の生活の歴史である以上は、これに伴う全般の研究が内容として盛られなければならぬのは、改めて言うを俟たぬ。而して、その内容は、巫女の発生、巫女の種類、巫女の階級、巫女の用いた呪術の方法と、その種類、巫女の師承関係、巫女が呪術を営むより生ずる性格の転換、巫女と戦争、巫女と狩猟、巫女と農耕、巫女に限られた相続制度、及び巫女の社会的の地位等を重なる問題とし、更にこれ等に伴う幾多の問題を出来るだけ網羅して、これを各時代における信仰の消長、政治の隆替、経済の起伏、及び社会事情の推移等を基調として、その変遷を討尋するのであるから、頗る複雑を極めているのである。
巫女史が、巫女の生活の歴史である以上は、これに伴う全般の研究が内容として盛られなければならぬのは、改めて言うを俟たぬ。而して、その内容は、巫女の発生、巫女の種類、巫女の階級、巫女の用いた呪術の方法と、その種類、巫女の師承関係、巫女が呪術を営むより生ずる性格の転換、巫女と戦争、巫女と狩猟、巫女と農耕、巫女に限られた相続制度、及び巫女の社会的の地位等を重なる問題とし、更にこれ等に伴う幾多の問題を出来るだけ網羅して、これを各時代における信仰の消長、政治の隆替、経済の起伏、及び社会事情の推移等を基調として、その変遷を討尋するのであるから、頗る複雑を極めているのである。


而して単に巫女が用いた呪術だけにあっても、我国固有のものに、支那の巫蠱の邪法が加り、仏教の加持祈祷の修法と習合し、猶お我国において発達した修験道の呪法が交るなど、実に雑糅紛更の限りを尽している。加之、更にこれを民族学的に見るときは、我国固有の呪術と、東部アジヤに行われたシャーマン教との交渉、アイヌ民族の残したツスとの関係など、弥が上にも錯綜しているのである。然もそれ等の一々に就いて、克明に発達変遷の跡を尋ねて新古を弁え、固有と外来とを識別するのであるから、その研究はかなり困難なるものではあるが、その困難が直ちに巫女史の内容であると考えるので、そこに巫女史が学問として相当の価値を認められるのである。
而して単に巫女が用いた呪術だけにあっても、我国固有のものに、支那の巫蠱の邪法が加り、仏教の加持祈祷の修法と習合し、猶お我国において発達した修験道の呪法が交るなど、実に雑糅紛更の限りを盡している。加之、更にこれを民族学的に見るときは、我国固有の呪術と、東部アジヤに行われたシャーマン教との交渉、アイヌ民族の残したツスとの関係など、彌が上にも錯綜しているのである。然もそれ等の一々に就いて、克明に発達変遷の跡を尋ねて新古を辨え、固有と外来とを識別するのであるから、その研究はかなり困難なるものではあるが、その困難が直ちに巫女史の内容であると考えるので、そこに巫女史が学問として相当の価値を認められるのである。


巫女史と他の学問との関係に就いては記述すべき範囲が広いので、混雑を防ぐ為に各項目の下に略記する。
巫女史と他の学問との関係に就いては記述すべき範囲が広いので、混雑を防ぐ為に各項目の下に略記する。
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'''三 巫女史と政治史との関係'''
'''三 巫女史と政治史との関係'''


我国に関する最古の文献である魏志(巻三〇)の「倭人伝」によれば、倭国の主権者であった<ruby><rb>卑弥呼</rb><rp>(</rp><rt>ヒミコ</rt><rp>)</rp></ruby>なる者は『克事鬼神惑衆』ところの巫女に外ならぬのである。此の点から言えば、倭国の原始文化は、巫女によって代表され、呪術に精通したものが、一国の支配者としての、機能を有していたのであって、即ちフレザー氏の<ruby><rb>帝王の魔術的起原</rb><rp>(</rp><rt>マジカル・オリジン・オブ・キングス</rt><rp>)</rp></ruby>の学説を事実において証明しているのである。而して、斯くの如き事象は、独り倭国ばかりでなく、我が内地にあっても、又明確に認められるのである。国語の政治を言える「まつりごと」が、祭事から出発している事を知るとき、古く我国が祭政一致であったことを覚ると同時に、巫女が政治の中心勢力者であったことを併せ考えねばならぬ。何となれば、我国で「まつりごと」の国語を生んだ時代にあっては、巫女それ自身が直ちに神であり、且つ巫女の最高者が主権者であったからである。
我国に関する最古の文献である魏志(巻三〇)の「倭人伝」によれば、倭国の主権者であった<ruby><rb>卑弥呼</rb><rp>(</rp><rt>ヒミコ</rt><rp>)</rp></ruby>なる者は『克事鬼神惑衆』ところの巫女に外ならぬのである。此の点から言えば、倭国の原始文化は、巫女によって代表され、呪術に精通したものが、一国の支配者としての、機能を有していたのであって、即ちフレザー氏の<ruby><rb>帝王の魔術的起原</rb><rp>(</rp><rt>マジカル・オリジン・オブ・キングス</rt><rp>)</rp></ruby>の学説を事実において証明しているのである。而して、斯くの如き事象は、独り我国ばかりでなく、我が内地にあっても、又明確に認められるのである。国語の政治を言える「まつりごと」が、祭事から出発している事を知るとき、古く我国が祭政一致であったことを覚ると同時に、巫女が政治の中心勢力者であったことを併せ考えねばならぬ。何となれば、我国で「まつりごと」の国語を生んだ時代にあっては、巫女それ自身が直ちに神であり、且つ巫女の最高者が主権者であったからである。


巫女史の立場から言えば、神璽と共殿同床した時代までは、巫女が政治の中心であったと考えることが出来るのである。然るに、政治と祭祀とが分離し、神を祭る者と民を治める者との区別が国法的に定められ、神それ自身であった巫女が一段と退化して、即ち<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>(神の子の意)として、神と人との間に介在するようになっても、猶お神託は、往往にして政治を動かす勢力を有していた。これ等に就いては、各時代において、例証を挙げて、詳記する考えであるが、巫女史と政治史との関係は、決して浅少なるものではないのである。
巫女史の立場から言えば、神璽と共殿同床した時代までは、巫女が政治の中心であったと考えることが出来るのである。然るに、政治と祭祀とが分離し、神を祭る者と民を治める者との区別が国法的に定められ、神それ自身であった巫女が一段と退化して、即ち<ruby><rb>神子</rb><rp>(</rp><rt>ミコ</rt><rp>)</rp></ruby>(神の子の意)として、神と人との間に介在するようになっても、猶お神託は、往往にして政治を動かす勢力を有していた。これ等に就いては、各時代において、例証を挙げて、詳記する考えであるが、巫女史と政治史との関係は、決して浅少なるものではないのである。
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'''五 巫女史と呪術史との関係'''
'''五 巫女史と呪術史との関係'''


巫女の聖職は呪術を行うことに重大の使命が存していた。併しながら、巫女の行うた呪術は、我国における呪術の全体ではなくして、僅にその一部分にしか過ぎぬのである。呪術史の観点に起って、古代の祭祀を検討すれば、その機構をなしている重たる部分は、全く呪術の集成である。従って、神事の宗源と言われた天児屋命及び太玉命は、公的の大呪術師とも考えられるのである。鹿の肩骨を灼いて太占を行うことも、更にこれが亀卜に代っても、その信仰の基調は呪術である。祝詞を発生的に考覈すれば、これの内容に、呪術の思想が濃厚に含まれていたことが、看取される。諾尊が黄泉軍を郤けるとき桃ノ実を投じたのも、神武帝が天ノ香山の土を採って平瓮を造られたのも、共に呪術の一種であると言うことが出来るのである。而して、国民の生活は、その悉くが殆ど呪術的であって、火を鑚るにも、水を汲むにも、更に誇張して言えば、寝るにも起きるにも、食うにも衣るにも、呪術の観念を疎外することは出来なかったのである。科学を知らなかった古代にあっては、呪術が生活の根蔕をなしていたのである。
巫女の聖職は呪術を行うことに重大の使命が存していた。併しながら、巫女の行うた呪術は、我国における呪術の全体ではなくして、僅にその一部分にしか過ぎぬのである。呪術史の観点に起って、古代の祭祀を検討すれば、その機構をなしている重たる部分は、全く呪術の集成である。従って、神事の宗源と言われた天兒屋命及び太玉命は、公的の大呪術師とも考えられるのである。鹿の肩骨を灼いて太占を行うことも、更にこれが亀卜に代っても、その信仰の基調は呪術である。祝詞を発生的に考覈すれば、これの内容に、呪術の思想が濃厚に含まれていたことが、看取される。諾尊が黄泉軍を郤けるとき桃ノ実を投じたのも、神武帝が天ノ香山の土を採って平瓮を造られたのも、共に呪術の一種であると言うことが出来るのである。而して、国民の生活は、その悉くが殆ど呪術的であって、火を鑚るにも、水を汲むにも、更に誇張して言えば、寝るにも起きるにも、食うにも衣るにも、呪術の観念を疎外することは出来なかったのである。科学を知らなかった古代にあっては、呪術が生活の根蔕をなしていたのである。


然るに、巫女の行うた呪術は、これ等の多種多様の呪術より見れば、実にその一端にしか過ぎぬものであって、然もそれが後世になるほど、呪術の範囲が局限され、漸くその面影をとどめるという有様であった。それ故に、我国にも、欧米の心理学者、又は宗教学者が論ずるが如き、幾多の呪術の種類、及び呪術と宗教との交渉なども在って存するのであるが、これ等は一般の呪術史に関する問題であって、巫女史はこれに<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>あずか</rt><rp>)</rp></ruby>ることが尠いので、本書は出来るだけ此の種の問題には触れぬこととした。
然るに、巫女の行うた呪術は、これ等の多種多様の呪術より見れば、実にその一端にしか過ぎぬものであって、然もそれが後世になるほど、呪術の範囲が局限され、漸くその面影をとどめるという有様であった。それ故に、我国にも、欧米の心理学者、又は宗教学者が論ずるが如き、幾多の呪術の種類、及び呪術と宗教との交渉なども在って存するのであるが、これ等は一般の呪術史に関する問題であって、巫女史はこれに<ruby><rb>与</rb><rp>(</rp><rt>あずか</rt><rp>)</rp></ruby>ることが尠いので、本書は出来るだけ此の種の問題には触れぬこととした。
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巫女の始めは神その者であった。従って、神が意のあるところを人に告げるには、その時代としては、出来るだけ荘厳にして、華麗なる口語を以てしたに相違ない。我国の<ruby><rb>祝詞</rb><rp>(</rp><rt>ノリト</rt><rp>)</rp></ruby>や、<ruby><rb>寿詞</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>は、ここに出発したのである。従って我国の叙事詩が、古きものほど一人称になっているのは、巫女が神として述べたことに出発しているためである。然るに、神の内容が変化し、巫女は神の子として、その託宣を取次ぐようになれば、巫女は神を降ろし、神を遊ばせ、神を<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>なご</rt><rp>)</rp></ruby>め、神を慰め、神を帰すなどの呪文を発明すべき必要があった。而して此の呪文は、古きに溯るほど、律語を以て唱えられるのが常であって、我国の歌謡は、かくして一段の発達を致したのである。巫女が唱えた是等の律語が、如何なるものであって、然もこれ等の律語と歌謡との関係、及び律語が歌謡化され、更に説話化されて、各地に分布された過程に就いては、本文に詳記する機会を保留するが、兎に角に、我国の文学史は、巫女の呪文によって、スタートが切られているのである。
巫女の始めは神その者であった。従って、神が意のあるところを人に告げるには、その時代としては、出来るだけ荘厳にして、華麗なる口語を以てしたに相違ない。我国の<ruby><rb>祝詞</rb><rp>(</rp><rt>ノリト</rt><rp>)</rp></ruby>や、<ruby><rb>寿詞</rb><rp>(</rp><rt>ヨゴト</rt><rp>)</rp></ruby>は、ここに出発したのである。従って我国の叙事詩が、古きものほど一人称になっているのは、巫女が神として述べたことに出発しているためである。然るに、神の内容が変化し、巫女は神の子として、その託宣を取次ぐようになれば、巫女は神を降ろし、神を遊ばせ、神を<ruby><rb>和</rb><rp>(</rp><rt>なご</rt><rp>)</rp></ruby>め、神を慰め、神を帰すなどの呪文を発明すべき必要があった。而して此の呪文は、古きに溯るほど、律語を以て唱えられるのが常であって、我国の歌謡は、かくして一段の発達を致したのである。巫女が唱えた是等の律語が、如何なるものであって、然もこれ等の律語と歌謡との関係、及び律語が歌謡化され、更に説話化されて、各地に分布された過程に就いては、本文に詳記する機会を保留するが、兎に角に、我国の文学史は、巫女の呪文によって、スタートが切られているのである。


此の機会に、併せ言うべきことは、巫女史と舞踊史との関係である。我国の舞踊史は、その第一ページが巫女の祖先神と称せらるる天鈿女命によって飾られているのである。鈿女命の天ノ磐戸前における<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt>カムガカ</rt><rp>)</rp></ruby>りの状態が、跳躍教とまで言われるシャーマニズムのそれと、如何なる点まで民族学的に共通性を帯びているか否か、更に此の種の神憑りの状態を以て、直ちに舞踊と云うことが出来るか否か、更に我国の舞踊の起原が、性的行為の誇張化から出発しているか否かは、本文に詳述するとしても、巫女と舞踊とは、決して無関係であったとは言えぬのである。巫女と音楽の関係も又そうであって、我国の古代における楽器は、概して巫女が神を降し、神を和める折に用いたものであって、然もこれによって相当の発達を遂げたのである。猶お是等に就いても、段々と記述する考えである。
此の機会に、併せ言うべきことは、巫女史と舞踊史との関係である。我国の舞踊史は、その第一ペーヂが巫女の祖先神と称せらるる天鈿女命によって飾られているのである。鈿女命の天ノ磐戸前における<ruby><rb>神憑</rb><rp>(</rp><rt>カムカガ</rt><rp>)</rp></ruby>りの状態が、跳躍教とまで言われるシャーマニズムのそれと、如何なる点まで民族学的に共通性を帯びているか否か、更に此の種の神憑りの状態を以て、直ちに舞踊と云うことが出来るか否か、更に我国の舞踊の起原が、性的行為の誇張化から出発しているか否かは、本文に詳述するとしても、巫女と舞踊とは、決して無関係であったとは言えぬのである。巫女と音楽の関係も又そうであって、我国の古代における楽器は、概して巫女が神を降し、神を和める折に用いたものであって、然もこれによって相当の発達を遂げたのである。猶お是等に就いても、段々と記述する考えである。


'''七 巫女史と経済史との関係'''
'''七 巫女史と経済史との関係'''
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